03/校門前の決闘。
空は晴れている。
その快晴の中、太陽が白塗りの校門を輝かす。
そんな素朴なれど美しい7月の光景を、
「だぁめぇーーーーーっっっ!!!!」
唐突な叫び声が貫いた。
否。それは叫び声ではない。それは明確な意志を伴った、相手を威圧させる為の咆哮。
校門を慌てて駆け抜ける生徒達が、突然の咆哮に例外なく驚き振り返り、そして即座に関わり合いにならない為に見なかった事にして先を急ぎ始める。そんな光景をみながら、あちゃあ、と十は顔を押さえて天に向かって慨嘆した。一方、その咆哮を轟かせた少年は、肩を振るわせながら少女を見据える。30cmはある身長差の為に、自然に見下ろす体勢になる。その視線を、少女は上目遣いに見返した。
「…此処は日本だ。政教分離された、近代国家だ。そしてその学校に、宗教シンボルを持ち込む事は許されない…」
「す、すみません…」
少女が謝り、それに伴い視線が自然に下がる。しかし、ふと気付いた様にその視線が上がる。
「あ、でもアクセサリーとしてよく皆さんつけてるじゃないですか?」
その瞬間、宗谷の肉体から蒸気が吹き上がったのを十は幻視した。体が逃げろと警告してくるが、足はばっちりストライキ敢行中の様で、動いてくれない。せめて逃げろと少女に警告したいのだが、それも叶わない。緊張と降り注ぐ日光の所為で汗がでてきて気持ち悪い。
「あれらは本来の十字架の意味も考えずにただ妄用する馬鹿共だ。自己の意志ではなく、周囲の印象に流される馬鹿だ。君はあれらの同類なのか?」
「いえ、そんな事はないですけど」
「では、とりたまえ。預かろう」
差し出される右手。しかし、
「嫌です」
返されたのは拒絶の言葉だった。
宗谷の眉がしかめられ、右手が空に掲げられる。それを合図に事態を見守っていた生徒会会員が散開し、少女を取り囲む。少女が慌てて周囲を見渡すが、逃げ道はない。ついでにもはや登校する生徒の数もまばらだ。
「…強制するのは本意ではないが、これも務めだ。極力痛い思いはさせないつもりだが、抵抗すればその限りではない」
宗谷が一歩、前に出る。少女との距離は約6m。少女が下がろうとするが、包囲網がそれを許さず、距離が詰まる。
「心配しなくとも、下校時に返そう。本当は砕きたい所だが」
そう良いながら、宗谷がおもむろに少女に手を伸ばす。だが、その手は空を掴んだ。宗谷の眉が更にしかめられる。
「無駄な抵抗は止めておけ」
対する少女が、叫ぶ。
「そ、そうしたいんですけど無理です!怖くて体が勝手に動きます!」
「では自分が止めてやろう」
「勘弁して下さい!」
轟という音と共に、宗谷の腕が少女に振り下ろされる。それは、そのまま命中したら、少女の頭がトマトの様に潰れるのではないかと思える速さ。少女は頭を押さえ、かろうじてそれを避ける。
「ふわっ!?」
「…避けるな」
「今のは避けないと死ぬと思うのですのけれども!」
「加減はしている!」
「なら、何故叫ぶのですか!?」
風斬りの音が、再び響く。だが、宗谷の手は再度空を掴む。何度手を伸ばしても、無闇に逃げ回ってる様にしか見えない少女を捉えられない。巨体の宗谷が小柄な少女を追いかけるその様は、はたからみれば遊んでいる様にしかみえない。
「ぬぅっ」
宗谷の眉間に皺がよる。右腕だけしか動かしていなかった体が、次第に全体で動き始める。しかし、それでも捉えられない。
左腕も使う。
右手を躱した少女を挟み込む様に、左腕を振り回す。だが寸での所で少女はしゃがみ、左手の運動が生じた風が、少女の髪をなびかせるに留まる。
────捕まらない!
次第に、周囲を取り囲む生徒会会員達もその事実に気付きはじめる。冷静に事態を見守っていた彼らと彼女らの顔に次第に驚きと、焦燥が浮かぶ。
「隊長、どうなされたのですかっ」
「そんなトロくさい子、さっさと捕まえて下さいよ!」
「遠慮はいりませんよっ、一発なら誤射ですみます!」
声援とも煽動ともつかぬ声が、宗谷を打つ。息が乱れる事はないが、彼の顔にも次第に表情が生まれてきた。ただしその表情は、会員達のものとは違う。宗谷の顔に浮かんだ表情。それは、笑みだった。
「面白い、初見の少女!」
自分と幾つも変わらない女子を少女と呼ぶのはどうなのだろうか、などと宗谷は考えない。代わりに目の前を踊る少女を、改めて見据える。
艶やかな黒髪。整った鼻梁。
目の前で自分を翻弄する少女は、一見普通の、いや敢えて言おう、美形の少女にしか見えない。
だが、宗谷は、決して見た目で相手の実力を計ったりはしない。
少女は先ほどから、全力ではないにしろ、校内最強を周囲が認める所の自分を翻弄しているのだ。見た目や性別などは関係ない。強面でよく勘違いされるが、そう。宗谷逸朗は男女平等論者なのだ。
「本気でいかせてもらう!」
次の瞬間。少女の視界から、宗谷の巨体が消えた。流石に意表をつかれた少女の動きが一瞬止まる。
宗谷がその隙を逃すはずもない。
足下。
その巨体に似合わぬ速度でしゃがんだ宗谷が、少女に鋭い足払いを放つ。
入った。
「きゃっ!」
がっ、とも、ごっ、ともとれぬ音が響き、少女が倒れて周囲から歓声があがる。だが、本気を出すと言った以上宗谷はそれだけでは止まらない。一度本気になったら勝機を逃がす事は絶対しない、それが宗谷という人間だった。例え、相手が自分より数十センチメートル背が低い、体重でいえば二分の一以下の女子が相手でも。
宗谷の巨体が、跳ねた。そして右膝を突き出す。狙いは少女の鳩尾。人体急所の一つである鳩尾に体重100kg近い彼の体重が入れば、致命傷は避けられない。
そして、その致命的な一撃は、横から加えられた衝撃によって防がれた。
「!」
空中で体制が崩れ、そのまま慣性が巨体を地面に叩き付ける。
その衝撃を右肩、背中、左肩へと転がって逃がし、宗谷が即座に向き直る。その視線の先には、
「おい、筋肉熊! ちょっとは手加減しろよ、相手は女の子だぞ?!」
「麦秋十、貴様か邪魔立てするのは!」
包囲網を突破して横から突貫した宗谷の仇敵、麦秋十がいた。
立ち上がり、向き直る。
「一対一の仕合を妨害するとは。麦秋の血は礼儀を忘れたか!」
「なーにが仕合だっ、女の子相手に本気になるなよ!というか何時の人間だお前!」
「自分は男女平等主義者でな!」
「何時も古くさい事言ってるくせに、都合良い時だけ現代思想を持ってくるな!カッコわるいぞ!」
「黙れ軟弱者がッ、ならば貴様から打ち砕いてやる!」
「短絡思考だな、熊!もっと優しさという言葉の意味を考えろ、もしくは慈愛の精神をいだけ、主に僕相手に!」
「問答無用!」
再び雄叫びをあげ、宗谷が突撃する。今度は、十相手に。100kg近い物体が猛進する勢いで、地が揺れる様な錯覚さえ覚える。
(… やばい、あれは当たったら死ぬ!)
正面から砂埃をあげて接近する宗谷に対して、十は後ろをちらりを振り返った。
無駄。
もはや逃げようにも、すでに生徒会委員達は改めて十を取り囲み、先ほどの様な隙はない。というか、さっきのも後ろから一番小さい栗鼠みたいな子を突き飛ばしたから出来たのであって、正面からで無手では委員達一人一人でさえ十には手に終えない。
ただ、少女が宗谷の進路から外にでてるのには安堵する。
そして、正面に向き直る。 … 受け止めてみるか?
不可能。即座に結論がでる。
可能性があるとすれば、接触の瞬間に左右どちらかに退き、そのまま校舎へ突っ走る事くらい。
だが、それも武道家である宗谷に何処まで有効であるものか。捕まられたら即関節技がくるし、触れたら即打撃技がくる。多少距離があいても飛び膝蹴りが来るかもしれない。それに少女を見捨てるのも、ちょっと、アレだ。
そんな事を考えている内に、もはや距離は詰まっている。宗谷が右拳を引くのが、十には見えた。半分自棄になって身構える。そして、勢いがのった拳が放たれる。
打撃音が響いた。しかし、それは肉が肉を打つ音ではない。
それは、固いものに肉がぶつかった音だった。
宗谷の拳を受け止めたのは、木。両者の横合いから伸びた、樫の木刀。
痛めた拳を左手で押さえ、宗谷が自らの拳を止めた者の名を呼んだ。
「会長!」
「宗谷君、人のおもちゃを勝手に壊すな」
放たれた声の先、十と宗谷の間にいつの間にか割り入った「会長」と呼ばれた少年が、木刀で宗谷の拳をすんでの所で止めた体勢のまま佇んでいた。宗谷が拳を引くのと同時に木刀を引き、「会長」は、まだ倒れたままの少女の方に向き直った。そして、しゃがみ込みながら言葉を放つ。
「すまないね、君。宗谷君が失礼した。僕から謝る」
「あ、いえ…」
「彼は優秀な人間だが、少々気が短いのが玉にキズでね。たまにこういう事をしてしまう」
そう言うと、「会長」は立ち上がり、そのまま右手を横に動かした。
応えは、木刀の刀身を握る10の指。
何時の間にか少年の横に控える様に立っていた少女が、木刀を受け取った。そのまま、木刀が背中に担がれた筒へ収められ、すでに収められていた一本とぶつかり、軽い音が響く。
そして改めて謝罪をいいかけるその口が、視線が交錯した途端、唐突に止まった。
「…え、あの…」
「……」
不自然な沈黙が場を支配する。一瞬、少年が何かをつぶやきかけ、
「………」
やめた。代わりに少年は、少女に微笑。少女も思わず、つられて困った笑みをうかべる。
そして少年は、右手をあげた。
「行くぞ諸君。我々が為すべき事は、他にある」
そう言うとそのまま振り返らずに、少年は背筋をのばして歩き出した。高い靴音が響き、木刀を受け取った少女がそれに続く。委員会員達も慌てて、それに続いた。
対して、宗谷だけが抗議の声をあげた。
「待って下さい、会長! この少女は十字架を携帯し、あの馬鹿は少女との仕合を妨害したのです、鉄拳による懲罰が必要です!」
宗谷が走り込み、少年の前へと回り込む。対する「会長」は、微笑。そして一言。
「黙りたまえ」
宗谷が、黙った。そして少年は再び歩みだす。木刀持ちの少女が、続く。委員達も、遠慮しつつも列に加わる。
「待って下さい、会長!宗谷さんはよかれと思ってやったんですよ!?」
一人の、栗鼠を連想させる少女をのぞいて。
「実際、十字架なんて持ち込ませるのはまずいと思うんですけど!」
少年はまたも振り返り、微笑。同時に少年と栗鼠少女の直線上の委員が退き、道が生まれる。
「美代君。別に僕は、彼を責めている訳ではないのだよ」
「なら、もう少し…!」
「美代君。君の、そういう所は僕は大好きだ。だがね」
少年が、美代と呼ばれた少女に靴音をたてて近寄る。若干緊張して、少女が少年を見上げる。その頭に少年は、
「…わっ?」
手を置いた。そして言葉を紡ぐ。その口調は、優しい。
「いいかね。確かに学校に宗教的な代物を持ち込むのはいけないが、近代国家として、最低限の宗教の自由は認められているのだよ。そして宗教とは、その人物の魂そのものだ。妄りに触れて良いモノではない」
「で、ですが…っ」
「異論を抱く事は良い事だ。僕は限りなく何時でも究極に正しいが、それとて絶対ではないのだから」
そして少年は言葉を切ると、俯いた宗谷に視線を向けた。
「宗谷君。何を突っ立っているかね。行くぞ」
途端、宗谷が跳ね起きる。その表情には、力が取り戻されている。
「で、では?!」
「昨日の深夜、野犬がでたとの報告があった。犠牲も一人でた。これ以上、犬畜生にこの街を穢させるわけにはいかない、そうだろう?」
「は、はっ」
「ではいくぞ。 …野犬狩りだ」
「はっ!」
宗谷が駆け、少年の右側に従う。少年は頷き、栗鼠の少女の頭から手を離した。前を向いて歩き出し、校門をくぐる。生徒会委員達も、それに従う。そして、最後の二人が校門を閉じ、一行は野犬狩りに赴いた。
「… で、僕への謝罪はなしなのか?!そうなのか?!」
立ち去る委員会の面々の背中に、怒りをぶちまけながら十は振り向いた。そして、唖然としてまだ起き上がれない少女に手を差し出す。少女が一瞬ぽかんとして十を見上げて、その後遠慮がちに手を掴む。
「… ええと、あの方々は何なのでしょうか?」
「え?あれ、キミ、よその学校の子かい?」
手を引き上げ、少女を立たせる。細い手だ。
「あ、いえ、実は転校してきたばかりでして」
「…ふーん。ま、じゃあ覚えておきなよ。あれが、うちの生徒会。会長の扶桑に、副会長で荒事専門の宗谷、それにあの木刀二本背負った女子が、書記長の祥鳳。目が合ったら逃げるのがオススメだね」
「…そうなんですか」
物憂いの表情を浮かべ、少女がうつむく。
「ん? 変人揃いで疲れた?」
「いえ、それもあるんですけど…」
少女の語尾がかすれる。なんか気になるので、尋ねてみる。
「どうした? いってみーよ」
「その…」
少女が、顔をあげる。
「…今から学校始まるのに、あの人達学校から出ていって良かったんでしょうか?」
「… あ」
考えもしなかった。そうだ、確かにそういえばそうだ。あれって、思いっきりさぼりじゃないか?
これはいずれ解明しないといけない。そう決心すると、後ろからよく知った声がかかってきた。
「おい、十! 校門開けてくれ!」
振り向いてみれば、そこには校門を必死に開けようとする友人の姿があった。
「くそ、外からじゃやっぱひらかないし!やば、今日は落すと俺サマ困るんだよっ。 そこの別嬪さんでもいい、開けてくれぇ〜」
「…祐伯、またかよ。この間も開けてやったじゃないか」
「いいから開けろ! さもなきゃ俺サマがお前を開ける!」
「はいはい… って」
そこで気付いた。一時間目のベルが成るまで、後… 二分しかない。
「…ええと、どうやったら開けれるんでしょう?」
「…無視しろ、無視! ほら、キミも初日から遅れたくないだろ?!」
「いえ、私は… わわわっ!!」
人の良い少女の手首を捕まえ、疾走。我ながら素晴らしい速度で校舎へと走る。
即座に後ろから祐伯の批判と呪詛の声があがったが、人間の体は都合良く出来ているらしい。大音量のはずのそれが、ほとんど聞こえなかった。