04/あるホームルームでの事。
朝から軽い疲労を覚えつつ、十は自分の席についた。カバンを置いて、椅子に座って時計を見てみれば、始業のベルまで後一分。ぎりぎりで間に合ったという所だ。ほっと息をついて教科書を取り出していると、丁度担任でもある数学の日下部が教室に入ってきた。途端に生徒達が朝のお喋りを止め、それぞれの机に戻る。そして全員が席についたのを待ち、日下部が出席をとる。
――――それは、何時も通りの授業の風景。
そんな当たり前の風景に何故か安心して筆箱をとると、そこで何故か日下部が笑みを浮かべた。そして、告げる。
「喜べ、男子!今日は転校生がいる!しかも幾何学的に可愛いぞ!」
……もしかして?
確信に近い期待を十が抱くのと同時に、まず男子が賑やかに騒ぎ、続いて女子がそれを非難するヤジを飛ばし始めた。
「可愛い子だといいよなー」
「いや、やっぱ見た目より性格だろ」
「そうだよな。うちの女子、性格が大崩壊してるし」
「へぇ。流石、高校生にもなって転校生に一々騒ぐ程出会いに飢餓している人たちの台詞は重みが違うわね」
男子の、明らかに軽量級の脳味噌から吐き出される言葉が止まる。
あの声ちょっと低めの声は、多分夕陽斜さんだろう。
「そうよ、大体転校生に騒ぐのが許されるのは中学生まででしょ」
連撃。
すかさず、負けず嫌いの男子生徒が反撃を始める。
「いや、性格が悪い人間と普段接してると純粋さに目覚めてね」
「そうそう、おかげで人は外見よりも内面の方が重要なのが身にしみたし」
「あら、それは良かったじゃない。高校生でそれに気付くあたり救えないけど」
「だよねー」「「「だよねー」」」
女子の黄色い声が唱和する。
だが、その表面上柔和な声は、
「必死だな、女子共」
という一言で一気に氷結した。次の瞬間、一気に教室の温度が氷点下まで転落し、悪意が両者の間に渦巻き始める。
「… 誰、今わけのわからない事言ったの?」
「大体、あたし達の何処が必死なの?」
「無理に口調を冷静に押さえようとして、体が震えている所とか」
「……喧嘩がしたいの、喧嘩が?」
「お?やる気か?暴力は好まないけど、そちらがその気なら先制攻撃を含む過激な正当防衛を行使しちゃうぞ?」
「正面からなんてやらないよ。… ただ、何故か靴箱に大量のうごめく何かが入ってたりしてね」
「うわ、ちょっと驚く程陰険!お前らみたいな奴がいるから戦争が終わらんのだよ!」
「敵を全て殺せば戦争は終わるわ?」
「お前は何処の東南アジアの独裁者だ!?」
大丈夫。これは、あくまで日常的な馴れ合いの範囲だ。だから、教室が高濃縮された険悪な空気に包み込まれてたり、気の速い何人かが立ち上がりかけてたりするのも気の所為だ。十が窓への逃走ルートを確認しているのも、何かの間違いだ。そんな一触即発の雰囲気の中、状況を止めもせず何故か満足げに見つめていた日下部が口を開いた。
「取り込んでる所悪いが、あまり待たせても可哀想だしな。 おい、入ってきていいぞ」
日下部の声に応じて、はい、という澄んだ声が外から響く。途端、教室に蠢いていた悪意が静まり、計五十五の視線が、出入り口に集中する。そして、がらっ、という音と共にその転校生が教室に入ってきた。そのまま、ゆっくりと落ち着いた足取りで教卓の横まで歩き、自身を見つめる生徒達に振り返る。
「高橋愛です。皆さん、よろしくお願いします」
ぺこり、と擬音がつく様な礼をして、転学生の少女が顔をあげた。その胸には、十字架が光っている。
次の瞬間教室に響くのは、感嘆の声だ。
少女の整った容貌に、男子ならずともクラスのほとんどの人間が声を漏らしている。
一度彼女を見た十にしても、気持ちはクラスメイトとほぼ同様だ。それ程までに、高橋の容姿は郡を抜いている。否、むしろ彼女がまとう空気が原因だろうか。高橋の雰囲気は、こう、なんというか同年代の少女のそれとは違うのだ。それは巫女である十の姉のそれと同じ、気高いとでもいうべき空気だ。
「さて、統計学的に男女平等に見とれてる所悪いが」
こほん、という日下部の咳と共に生徒達の視線が高橋からずれる。
「そう見つめると彼女に穴があく。 ……とりあえず、朝の出席を取る」
そういうと、日下部が出席名簿を取り出し、しかしその動きを止めた。
「…と。公理的に忘れていたが、そうか。高橋君の席を決めないといけないな」
そのまま日下部の眼鏡越しの視線が、教室を見渡し、 …十の横で止まる。
「麦秋の横が空いてるな」
「先生! 俺が今横をあけ、いやむしろ消しぐおっ」
肉を打つ音と共に、何かが崩れる音が響く。
しかし日下部は、当然の様にそれを無視した。
「では高橋君、君は麦秋の横だ。まあ、無害な奴だから安心しろ。……玉なしだからな」
「先生、ストレートな侮辱をありがとう」
「礼には及ばない。さ、着席しろ」
「はい」
頷き、高橋が机の間を抜けて、窓際の麦秋の席の横まで歩く。
そして、椅子を引きながら麦秋に顔を向け、
「また会えたね」
微笑む。
その笑みに対して、十は、平凡にそれを肯定するだけにとどめた。
だって、朝あった転校生(美少女)が同じクラスで、隣なんて。
………ちょっとベタ過ぎじゃないか?
何か嫌な感じがする。
まあ、ひょっとしなくても、
「麦秋…」
「裏切り者に死を… 」
「殺す。すぐ殺す。今殺す」
妬みの視線を自分に向ける、男子生徒どもの所為だろうが。
ていうか、お前ら学校に何しに来ているんだよ。
一時限目の終了を告げる鐘が鳴った。
途端、教室に響く音がある。
生徒達が一斉に起立する音だ。
統率された音が目指すのは、窓際に並ぶ机の前から四番目。
高橋の席だ。
隣のクラスからも流れ込んでくる生徒が高橋を取り囲み、故に自然とその隣の十は席から追われる事になる。仕方がないので、空いた席に適当に座って時間を潰す事にする。見れば、高橋は文字通り質問攻めにされていた。
………まあ、無理もないけど。
そう思ってぼんやりとしていると、
「よっす」
と、明るい声が来た。
後ろからだ。
振り向けば、そこには長い黒髪を、今時珍しいポニーにした女の子がいた。
…えーと…。
…名前が思い出せない。何処かで見た気はするが、誰かは思い出せない。そんな感じだ。
高速で彼女の名前を思い出そうとしていると、女の子の方が口を開いた。
「麦秋君、高橋さんと知り合いなんだねっ」
「あー、うん、あ、いや、校門で宗谷に絡まれてたのにちょっかい出しただけだよ」
…駄目だ、声を聞いても思い出せない。
こうなったら、このまま話し続けるしかない。何、名前を知らなくても会話位できる。そうタカをくくって、少女と話すことにする。
「やだー また麦秋君、一人山脈の宗谷君とやりあったの?」
「人の身体上特徴を揶揄するのはどうかと思うけど、僕的には全面肯定だから聞かなかった事にしよう。…いや、僕ってば何故かあいつに目を付けられてるからさ」
「あはは、先月宗谷君の下駄箱に黒色火薬仕込んだからでしょ?」
「いや、僕は何処の過激派テロリストだよっ」
「あれ、じゃあ人質とって三階の窓から突き落としたんだっけ?」
「あれはあいつが勝手に暴れて落ちただけだ!…って、人質って何?!」
「えー?三年の浅間さん。麦秋君が後ろから押さえこんで、宗谷君への盾にしたって聞いてるけど、 ……違うの?」
……頭痛がしてきた。
「…あれはむしろ僕が人質にされてたんだって。そもそも宗谷も浅間さん目当てだったし」
「あは、そうなんだっ? 浅間さんがそう言いふらしてたからそうなんだと思ってたよー」
…あの悪魔女め。後で見かけたら、 見なかったふりしてこっそり隠れてやる。
十がそう心に誓っていると、それを不思議に思ったのか彼女が小首をかしげた。
「……何か?」
「いや、それにしても麦秋君が女の子を助けるなんて意外だなー、と思って」
「目の前で野獣に襲われてピンチの女の子がいたら助けるさ。…ってか、意外に思われる程僕の評価って低いのか…」
「むしろ女の子の陰に隠れて逃げるタイプかとっ」
「しまいには泣くぞ?」
それを聞くと、何がおかしいのか、彼女はあは、と両手を合わせた。
「ごめんごめん、これからダンディ麦秋って呼ぶから許してよー」
「なんだ天然100%、ただし混じりっけなしの色物っ、的なネーミングはっ。しかも全く関係ないし!」
「ええ、ナイト麦秋の方が良い?」
「大して変わらんがな…」
思わず、机に突っ伏す。…それにしても、特徴的な女の子だ。いくら僕の脳が万年不調とはいえ、これだけ特徴的だったら覚えてそうなものだが?
そう考えていると、
「えい」
ぺしり、と音と共に後頭部を人差し指で弾かれた。地味に痛い。
「…何をするかな、君は」
「気合い入れてあげたんだよー」
それより、と彼女が前に動いた。見上げると、丁度屈んだ彼女と視線が合う。くりっ、とした瞳に奥まで覗き込まれる気がして、思わず視線を逸らす。
「…何」
「ねぇねぇ、もしも。 もしも、高橋さんみたくピンチだったら、私でも助けてくれるかな?」
…何処かで聞いた台詞だ。
「そうだね。……正直君には助けが要らない気がするけど」
「えぇーっ そんなっ、私だって高橋さんみたいなひ弱な美少女だよーっ?」
……普通、自分で美少女とかいうか?
一息。
「冗談だよ。…少なくとも野獣に襲われて、目の前にいたら、普通に助けるよ」
「…えー、本当ー?!やったーっ!」
僕の言葉に、一瞬の沈黙の後彼女が跳ね上がらんばかりに喜ぶ。いや、実際跳ねた。
だが、
「流石男だねっ、ジゴロ麦秋!」
「待てっ、加速度的に名称が悪くなってる?!」
「あははっ、気にしない!」
一瞬疑問が浮かんだが、頭が悪い笑い方を続ける彼女に、嘆息。どう言い返すか考えると、
「くぉらぁぁ陰険十ぃぃぃ!! てめえぇっ、よくもマブダチ見捨てたなッ?!」
威勢のいい叫びと共に、横引きのドアが戸袋に叩き込まれた。
集中する視線の中、縁に手を掴んでこちらを睨んでいる少年は飛鷹佑伯、学名馬鹿だ。
「お前っ、十っ。てめぇが助けてくれなかった所為で、朝からちょっと二〇三高地な気分になったじぇねぇかっ!」
このまま叫ばれるのも面倒だ、というかクラス中の視線を何時までも受け止めれる程僕は社交的じゃない。
仕方がないので頭を振って、馬鹿の相手をする事にする。
「どんな気分だ、と言っておく。しかし良くあの門登ってこれたね、お前」
「はははっ、裏門を突破してきてやったぜ!ちょろかったぜ、鍵っ!」
「本当にお前は不慮系肉体派だな。いいけど弁償しとけよ?」
「うっ …あ、いや、弁償で思い出したけどっ、お前この間貸した500円返せよっ」
「…あー、学食のやつか。よく覚えてたな」
「食いもんの事だけは記憶がいいんだよ、俺はなっ」
「そうだな、それと何時でも元気なのがお前の取り柄だな」
「ん?おうよっ、時と場所をわきまえずに常に元気なのが俺のキャラクターだからな!」
「そうだな、元気なのはお前の良いところだ」
「お、そうだろそうだろ」
「本当にお前は元気でいいやつだよ、僕もそれ位のバイタリティーが欲しい」
「うんうん、そうだろそうだろ」
「ああ、お前は本当にイディオットでサノバビッチだ」
「そうだろそうだろ …って、俺今馬鹿にされなかったか?」
佑伯が周囲を見渡すが、皆一斉にたてた右手を「ないない」と左右に振る。
…持つべきは、シャレの分かる学友だ。
それを確認すると、佑伯は満足そうにうなずいた。
「朝から荒んだ心が癒されて嬉しいぜっ」
「そうだな、良かったな佑伯。気分が良いついでに清涼飲料水奢ってやるよ」
「なにっ、本当か十っ!」
「ああ、僕も行くから先にいってろ」
「何時も悪いなっ、心の同胞よっ!」
言うが早いか、佑伯が疾走。幾つかの教室から顔を出した教師の罵声を伴奏に、廊下の向こうに消えていく。
それを見て、僕はため息をついた。
「僕がいうのもなんだが、あいつは本当にアレで良いのか…?」
重い言葉に、教室全体が沈み込む。
ただ一人、高橋だけが、
「なんだか愉快な人だね…」
と感想を述べた。それに応ずる様に、周囲を取り囲む連中が会話を開始し、教室が再び賑やかになる。
それを見て、僕はもう一度ため息。
顔をあげると、そこには笑顔を浮かべた彼女(まだ名前思い出せない)がいる。
「何時みても佑伯君と麦秋君のコントは素晴らしく楽しいねっ」
「別にコントじゃないんだけど… ま、じゃあ僕は馬鹿追ってくるよ」
「うんっ、またね!」
立ち上がり、椅子をしまい、ドアへと向かう。そして、ふと振り返る。
「んー?どうした、テクニカル麦秋っ。忘れ物?」
「またも厭らしい方向に超進化するネーミングセンスに脱帽だ。…いや、なんでもないよ」
「ん、じゃね?」
ひらひらと手を振る彼女に背を向けて、僕は今度こそ教室から立ち去った。[Next]