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01/ある朝のこと。

 

 

 

 ある朝の事だった。

 麦秋十は到って普通に目覚めた。時刻は六時五十分。ゆっくり朝ご飯を食べても登校時間に間に合う時間帯だ。

 彼はまず何時もやる様に、あくびを行い、そしてカーテンに右手をかけて開いた。
       ・・・・・・
 すると、朝の気持ち悪い日光が彼の手を照らし、彼の手は灰になった。
 彼はその様を見て、まず首をかしげた。

 なんで自分の手が灰になっているのだろう?

 ぱさり。
 灰と化した右手が自重に耐えられず、崩れ落ちて辺りを舞う。

 その瞬間、彼が思いついた可能性は以下の三通りだった。

 1 見間違い
 2 夢
 3 ライトノベルの読み過ぎ

 どれもそれなりに説得力のある考えだと、その時の彼は思いそれぞれを検証した。

 しかし残念ながら何度左手で目をこすっても右手は見えず、夢を夢として認識する事はあまりなく、そしてライトノベルの読み過ぎはよく考えればこの状況にはあまり関係がない。周囲を見渡してみれば、そこは人類が住むには少々混沌とし過ぎているが、とにかく普段みなれた巨大な本棚がある自分の部屋だった。四方の壁もいつも通り、ポスター一枚張ってない普通の白い壁だ。壁に隣接した勉強机の上には、命に等しい価値があると日頃から公言して憚らないノートパソコンが充電されている。その後ろには参考書や教科書が並び、パソコンの上には昨日寝る前に読んだ半世紀前の独裁者が作者の、頭がむず痒くなる本が載せられている。

 此処までくると彼の頭もそれなりに回ってくる。否。彼の頭は、その瞬間かってない程ご機嫌に回っていた。そして己の右手が実際に日光を浴びて、灰になって、消え去った事を自覚した時、彼は叫んだ。

「アッチョンブリケ!!」

 ───その言葉の意味は、後にその時の自分を振り返った彼自身にも分からなかった。
 分からなかった、が。とりあえずその言葉はその時の彼を救った。

「あ、つな君起きてるねー。」

 障子の外から響くすこし間延びした柔らかな声。十の姉、アザミの声だった。

「朝ご飯つくっといたから、クーちゃんと喧嘩しないで、ちゃんとありがたく食べておきなさいよ」
「…うん」
 混乱を悟られないために、十はわざと眠そうな声でとりあえず返事をした。
 少々鈍い所が有るアザミはそれに気付かなかった。 双方に幸せな事に。
 
「それじゃ、私は先にいくからねー。」
「…うん」
「あ、お見送りはしなくてもいいから」
「…うん」
「それじゃ」
「…うん」
「…  なんか今日のつな君そっけないなぁ」少しもの足りなさそうな声。

 すたすた。
 ドアの外の板張りの床を、何時もの如く軋ませる事なく足音が遠のく。
 何時もは十が起きているのを確認する為に部屋に入ってくる彼女が、今日に限って入ってこなかった事に十はほっとし… ぎょっとした。

 なんで僕はほっとしてるんだ?

 胸に走る、理由が見つからない嫌悪感。

 混乱する頭を少しでも沈める為に、十は布団に頭を埋めた。しかし残念ながら頭は最初からあまり混乱しておらず、従って沈めるもくそもなかった。この時、彼の深層はすでに事実を容認し始めていたのだが、その時の彼は無意識にそれを否定した。だって、そうだろう。朝起きて、日光を浴びたら右手が灰になったなんて、そんなの…

「吸血鬼になったしか、考えれないじゃないか」

「はい、その通りです。」

 後ろから響く鈴のなる様な声。振り返った十の視線の先には、馬鹿でかい本を今まさに振り下ろさんとする、実に特徴的な服装の黒髪の女の子がいた。なにせシスター服だ。御丁寧に十字架まで首から下げている。こんなこだわりのコスプレマニアの知り合いは十にはいないが、はて。

「いろいろと説明するのが面倒なので、すみませんけどちょっと気絶してもらいます。」

轟ッッ!

… 本の角が空気を切り裂いて接近してくる。それは実際は颶風といっても良い速度で接近していたが、その時の十はそれがゆっくり見えた。そこで本を観察した。どうも、本の背表紙は何かの皮で出来ているらしい。となると中世のものにしろ、最近特注で造ったもににしろ、随分高級そうだ。それに、あの短長の二本の棒が垂直にまじわったシンボルからして、あの本は…

 目の前に刻々と迫る本を、そうしてえらくゆっくり評価した後、十は脳天に本の角をもらって倒れた。鈍い痛みが頭蓋を揺さぶり、視界が白に満たされ、直後ブラックアウトし、意識が暗闇に落ちていく。最後に女の子がダイイチジショチとかシンショクとか言ってるのと、板張りの床が軋む音が近づいてくるのだけを聞いて、十はあっさり気絶した。

 

ある朝の事だった。

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