「お前が姉さんを殺したんだ!!」
校長室に入った途端、僕は綺麗な女の子にそう言われた。
────死にたくなった。
真如の月 / 鏡を見ろ
「まぁ、まぁ、惟神さん。お気持ちは察しますが、落ち着いて…」
そのまま僕に掴みかかろうとしたその女の子…惟神 さんの肩を、柔和な表情を浮かべた校長が掴んで押し止めた。惟神さんは鬱陶しそうに振り払おうとしたが、校長はやんわりと受け流し、そのまま肩越しに視線で僕に応接用のソファに座るよう促す。僕は正直暴れ狂う惟神さんに圧倒されていたので、大人しくソファに座った。僕と一緒に入室した扶桑さんは当然のように、僕の後ろに立つ。いや、待てよ。
「…なんで座らないんですか?」
「君が突然暴れたり、逃げたりしようとした時の為だよ」
……秘密警察の取り調べかよ。
「扶桑くん、扶桑くん。そういう誤解を招く言い方はよしなさい」
視線を戻すと、いつの間にか向かい側のソファに校長が座っていた。その横のソファには、凄い顔をした惟神さんが腰掛けている。もし視線に質量があったら、今頃僕は大怪我をしていることだろう。
「君にはあくまで、第三者の視点を期待しているんですよ」
「ええ、分かっていますよ校長」
「そうだと良いのですけどねぇ… ああ、望月くん。そう緊張せずに、ゆるりとして下さい」
にこりと微笑んで、校長はこちら眼鏡越しの視線を戻した。
「私は、我が校の生徒が殺人なんて恐ろしいことするわけないと信じていますから。ただ…」
ちらりと横に向いた校長の視線を追うと、惟神さんと目が合った。
その時感じた怖さは、ちょっと言葉にできない。見てはいけないものを見てしまったというか… 密林の奥に潜む 猛獣と目を合わせた気分だった。背筋に氷塊が滑り落ちたような感覚に、弾かれるように僕は視線をそらした。
それを知ってか知らずか、校長は穏やかな声で困ったように首を横をふった。
「こちらの惟神さん… 亡くなられた惟神叶恵さんの妹の、たまえさんがね。少し、気になることを仰っていまし…」「少し?」
声は、机に両手を叩き付ける激しい音と共に来た。
大仰に驚いてみせる校長を軽蔑したような目でみて、惟神珠恵さんは続けた。
「校長先生。それは、私に対する侮辱ですか?」
「いえ、そういうわけでは…」
やんわりと両手を振って否定する校長を、いよいよ軽蔑した目で珠恵さんは見据えた。そしてそのまま彼女はゆらりと立ち上がると、その凍える視線を僕に向けて来る。そして、
「……望月。私知っているのよ、お前が姉さんを殺したこと」
たっぷり間をおいて、珠恵さんは僕に宣言するように言い放った。お姉さんに良く似た、底冷えのする声に思わず圧されかけるが、ぐっと堪える。僕は腹に力を入れると、意を決して珠恵さんを見上げた。
「ど、うしてそんなコトが言えるんですか」
「望月。お前、昨日の放課後姉さんを屋上に呼び出していたでしょ」
────まずい。
「姉さん、一昨日の夜話していたわ。望月に、放課後屋上に来るよう手紙もらったって」
「……」
「何があったのかは知らないけど… どうせ、そこで姉さんに逆恨みして突き落としたんでしょ?」
「………ま、さ」
「言い逃れする気? 見苦しいわよ」
「いや、そうじゃなくて…」
「…?」
胡乱げに見てくる珠恵さんを無視して、僕は叫んだ。
「ま、まさか先輩がもらったラブレターを家族に言いふらす様な人だったとは思わなかった!」
「…………」
今度は珠恵さんが黙る番だった。僕も多分後で恥ずかしくて死にたくなるとは思うが、仕方ない。
しかし、叫んだ内容は僕の中でも真実だ。僕の中の先輩は絶対にそんなことをしないのだが、どうやら先輩は思ったより家族付き合いの良い人だったらしい。うん、それはそれで好印象だ。ギャップって良いよね。生きていたら惚れ直すところだ。
だが、今はそれどころではない。不本意だが、今すぐにどう言い逃れするかを考えなければならない。いくらなんでも、屋上から落ちた人間を直前に屋上に呼び出していたというのは心証が悪い。僕が珠恵さんの立場でも、きっと僕が姉を殺した犯人だと断定するだろう。さて、どうしよう。
「恥ずかしいのは分かるが、誤摩化すのはどうかな」
言い逃れの構築は、意外な方向から阻止された。振り返ると、扶桑さんが人間を騙したばかりの悪魔のように楽しげな笑みを浮かべていた。
「で、どうなのかな。君はラブレターで惟神かなえ君を屋上に呼び出したのかな?」
「それは―――」
だ、第三者の視点はどこへ行った。
「………」
僕は答えられず、仕方なく俯いた。沈黙の肯定というやつだ。いや、僕じゃなくてもよく知らない他人の前でラブレターの話なんて出来るわけない、と思うぞ。先輩に送ったラブレターの詳細を説明する位なら、僕は一生を語尾に「にゃん☆」とつけて過ごす方を選ぶ。
「いや、まあ、ラブレターの実物があるから別に答えなくても良いのだけどね」
「あるのかよ!?」
意地の悪い笑みを浮かべたまま、扶桑さんは胸ポケットから何の変哲もない白い便箋を取り出した。
「言わなかったかな。惟神かなえさんの遺体の第一発見者はこの僕だ」
知らねぇよ。
思わず校長を見ると、校長は眼鏡越しに目を細めて微笑んだ。どうやら珠恵さんも知らなかったようで、マジマジと便箋と校長とを交互に見ていた。
「最近は野犬だのが暴れてるって噂があるからね、必ず生徒会が帰る前に学校中を見回るようにしている。それで見回りを終えて最後に校舎を振り返ったら…」
そこまで言うと、扶桑さんはぴらぴらと便箋をふった。
「惟神叶恵さんが落ちてきた。これと一緒にね」
「……それ、警察に渡さなくて良いんですか」
「なにせ学校とは閉鎖的な空間だからねぇ。ねぇ、先生」
「はて、なんのことでしょう。私は何も存じておりませんから」
にこにこと、校長は言った。その笑みが妙に冷たく感じたのは、きっと僕の気の所為じゃないだろう。
「… なら、やっぱり望月が姉さんを殺したことは明白じゃない」
「いや、僕はそう思わない」
流石に驚いたのか、顔を押さえて座りながらそう言う珠恵さんを、扶桑さんはあっさりと否定した。途端再び剣呑な目つきを取り戻す珠恵さんを、扶桑さんは手で制止する。
「なに、口から出任せで言っているわけじゃない。根拠はあるさ」
ではその根拠とやらを言え。そう視線で催促するたまえさんに扶桑さんは笑みを消すと、真剣味を帯びた表情を浮かべ、「ぶっちゃけ、望月君じゃ惟神叶恵さんに勝てないじゃないか」
とかのたまった。
…なんか嫌な空気で校長室が満たされたのは、気の所為じゃないと思う。嫌な空気の密度に比例して珠恵さんの怒気がふくれあがっていたのも、多分。そしてその考えは、すぐに正しいことが証明された。
その瞬間、ぶわりと、珠恵さんの長髪が鎌首をもたげたように、僕には見えた。珠恵さんは僕がなんとか見える位の速さで立ち上がると、真向かいに座っている僕の太ももを踏みつけた。痛い。そして即座に扶桑さんの頬をはたこうとして、
「落ち着きたまえよ」
扶桑さんに腕を掴まれて固まった。位置的に珠恵さんの顔は見えないが、きっと驚いているだろう。一応人一倍反射神経が良い筈の僕が反応ができなかった動きを捉えるとは、扶桑さんはずいぶん反射神経が良いらしい。
「僕が冗談を言っているのだと思っているなら、それは間違いだ。僕は本気だ」
「ふ、ふざけないで!そんなことが!そんなことが、無実の証明になんかなるわけがないでしょ!?」
「いーや、なるね。冷静に考えてみたまえよ」
そう言うと扶桑さんは屈んで、ぽんと僕の肩に手を置いた。
「君が少々速く動いたからって、 大人しく踏まれた彼。そんな彼に、あの惟神叶恵さんが遅れをとると思うか?」
「………」
沈黙した珠恵さんは、ぐるりと僕に顔を向けた。潜り込んで来るような視線に耐えかねた僕は思わず作り笑いを浮かべるが、珠恵さんはそれを無視。それどころか、ぐりぐりと足を捻ってきた。
「あの、痛いんですが」
「…うるさいっ」
僕の抗議を切り捨てて最後に一際強く体重をかけると、珠恵さんは扶桑さんの手を払った。そしてそのまま不愉快げにさがり、ソファに身を沈める。
「……そうね。確かにどんくさい望月じゃ、 姉さんは殺せそうにないわ」
なんだか失礼なことを仰って、たまえさんは頷いた。しかしすぐに彼女は挑戦的な視線を扶桑さんに向ける。
「でも、それを言ったら誰だってそうじゃない。貴方だって、姉さんに勝てやしないでしょう?」
「まあ、それはそうなのだけどね」
振り返ると、扶桑さんは肩をすくめていた。だが口元は微笑を取り戻し、
「だけど、この学校で彼女に一番近いのは僕だろう。だから僕も容疑者の一人だよ、大体第一発見者というのは怪しいものだしね」
「…自分をわざと疑わせて、無罪だと思わせ込むつもり?古典的な手法ね」
「おやおや。おかしいね、先程まで君は望月君を犯人だと決めつけていた筈だが」
再び、珠恵さんの髪が鎌首をもたげた気がした。
「とはいえ、別に下手人候補が僕達二人というわけじゃないよ?他にも怪しい人物は何人かいる」
「…へぇ。その人達は、どうして此処にいないのかしら?」
「まずは君の誤解を解こうと思ってねぇ。そうすると早朝の時間だけは不充分だ」
それにだね、と扶桑さんは眼鏡を中指で押し上げて、言い放った。
「気付いてないなら教えてあげるが、候補者なら僕の目の前にいる」
そうだよ、君も下手人の候補者なんだよ惟神珠恵さん。
だって、君も惟神叶恵さんが屋上に呼び出されてるって知っていたんだろう?
なら、君だって姉上を突き落とせたじゃないか!
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