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真如の月 / 夏のある朝

 

 
 世界は俺にはどうしようもないところで動いている。
 誰でも一度は考えるようなことを、俺はその頃考えていた。幼稚な屁理屈による世界の否定、眠れない午前二時、苦いコーヒー、ニヒルぶった言動。当時の自分を見たら、きっと俺は即座に彼を殴り倒して、そのままコンクリ詰めにして東京湾に沈めてしまう欲望を抑えきれないだろう。きっと皆そんなものだと思うが、俺はあの頃、皆と少し違う経験をした。もったいぶらずに言ってしまおう。

 あの年の夏。
 俺の目の前で、親友と初恋の相手だった先輩が自殺した。

 ───いや、自殺したというのは正確じゃないか。だって、二人とも死んでないのだから。

 

 

 話は俺が中学二年の時だった時に戻る。
 その頃、俺…いや、あの時は僕か…は妹と二人暮らしをしていた。いや、別に二人で駆け落ちしたとかそういうわけではなくて、単に両親が二人まとめて飛行機事故で死んだからだ。何も二人まとめて死ななくても、まあ、でも仲が良かったしなぁ、と当時は思ったものだが、それは今回の話とは関係ない。ともかく、当時僕は妹、望月朝美と二人だけで生活していた。
 当時、家事の担当は僕だった。一応彼女の名誉のために言っておくが、これは当時あいつがまだ小六だったからで、別に僕の妹に生活能力がなかったわけじゃない。ともかくそんなわけで俺は毎朝同級生よりも早く起きていたが、そのおかげで早朝散歩するくせがついていた。あの日も朝飯の下ごしらえをおえて、散歩に行こうとしたら───
「わうわうわう!」
 いきなり、おっきな犬に押し倒された。アスファルトが背中に痛い。
「おっそいぞー、誠!待ちくたびれたじゃん!」
 べろべろと舐めてくる黒犬越しに、元気そうな声が聞こえてきた。妙におっきいその犬が視界を塞いではいたが、声だけで誰かは分かる。
「ごめん、十。中々みそ汁の味に納得できなくて…」
「それって中学生の言う台詞じゃないよなーっ。お前は何処の主婦だっつーの!」
 快活に笑って、志奈津十が黒犬の横から顔をのぞかせる。
 ひとつ。ふたつ。みっつ。飛んで、やっつ。ここのつ。とお。つがないから、つなし。
 幼稚園のころから一緒の幼なじみで、花屋の子供。それが志奈津十だ。
「わんわんわん!!」
 そして、今僕にのしかかってるのは黒犬のシン。最近、十が親戚から預かったらしいが… 
「しかし、シンってば本当にお前に懐いてるよなー。妬けるねぇー。」
 その通り。何故だかは知らないが、その、異様に僕に懐いている。別に犬は嫌いじゃないが、流石に毎朝これは辛い。
「よく分からないことを言ってる暇があったら、シンさまを退けて下さい…」
「いいじゃん、シン可愛いし」
「可愛くても僕は痛い。ぬめぬめも好きじゃない」
「はいはい。お前もつれねぇよなぁー」
 恐ろしく勝手なことほざきつつ、十はリードを引っ張ってシンを僕の上から退けてくれた。うわ、でも顔ぬめぬめだよ。
「ほらよ」
 余程僕が嫌そうな顔をしていたのか、それとも流石に悪いと思ったのか、十がタオルを放ってくれた。そのタオルで顔を拭いつつ、歩き始める。真夏とはいえ、流石に早朝はまだ涼しい。
「あー。そういや、誠、あの話聞いたか?」
「ん?何の話?」
「ほら、あの家。あの柿の木がある家」
 とことこと僕の横に出てくると、十は道路の向かい側にある家を指差した。確かに大きな柿の木がある。
「あの家、この間一家全員虐殺されたって」

 ……。
 
 一家全員虐殺サレタ。

「…ふぅん。知らなかったけど、それはまた。…何故に虐殺?」
「殺された全員、なんか妙な殺され方してたんだって。体ばらばら、内臓ばらばら。熊にでも襲われたのかって話」
 にっこりと笑って、そんな話をする十は嫌だ。だいたい熊って、お前。
「…この街って、そこまで自然豊かだっけ?」
「自然は豊かじゃないけど、人は豊かだよな。何百万人もいたら、一人くらい熊みたいな食生活してる奴いてもいいんじゃね?」
 ……。
「まずカニバリズムを疑うのは止そうよ…。」
「えー?なんで?日本で一番多い生き物人間なんだから、人間喰おうと思っても良いと思うけどなー」
「馬鹿かお前は。虫の方がよっぽど多いよ」
「え、あれ? そうなの? へぇ知らなかった」
 真面目に感心する十をよそに、僕は溜め息をついた。こいつは基本的によい奴なのだけれど、こういう風に抜けた… というか、若さ故の過ち? みたいな部分がある。自分を見ている気分になって嫌になる。
「朝から嫌な話を…。そろそろ朝美起きるし、帰る」
「おいおい。まだ時間あるだろうが。友達より妹のが大切か?」
「大切だね。それにお前だって、花屋の仕事あるだろ。親父さん、一人じゃ大変だろ?」
「……ふーん。いいよ。いいよーだ。じゃあ俺も帰る」
 ふてくされた様に言うと、十はそのままシンを引きずるようにして帰っていった。じゃあね、シン。
「じゃあ、僕も帰りますか…」
 呟いて空を見上げると、太陽が強く輝きはじめていた。今日も熱くなりそうだ。


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