荒れ狂う爆風の中を、微塵の輝きが走った。
それは、短剣五本と苦無二本とが砕けて生まれた破片だ。爆発によって砕けた鋼の刀身は、爆風によって加速し、広く薄く部屋中に飛び散る。それは軽々と石造りの床に突き立つものであり、
「……っ!」
主君と剣士の戦いを見守っていた射手にも、等分にその脅威は迫った。部屋全体に広がるその暴力に、射手は回避が不可能である事を悟り、だから両腕を交差して身を守る。
だが、その防御は無用なものになった。何故ならば、爆風を突き破り、逆光の影が射手の前に立ちふさがったからだ。射手を守るように、爆風に背を向けた影の名前はラヴァ・ヴォークネス。剣士の短刀の一撃すら素手で受け止めたラヴァには、爆風加速した鋼の破片など全く意味をなさない。だから射手は安堵し、感謝し、そして、主君と同じく爆風を突き破って現れた剣士の姿に硬直した。
馬鹿な、と射手は思った。
それも当然だ。法符によって爆発を引き起こした剣士は、だからこそ爆心地に存在した筈だ。ならば爆破による影響も、自分のものより遥かに甚大な筈で。百歩譲って逃走が可能だとしても、追撃など出来る筈が無い。出来る筈が無いのだが。
「ラヴァ様!」
叫んだ射手の目には、確かに剣士の姿が見えていた。それも無傷ではない、爆風と金属片によって傷ついた姿だ。防刃装束は破れ、破れ目からは朱が覗いている。それでも剣士は、確かに攻撃の意思を見せていた。左手で蒼い長剣の鍔を掴み、右手で柄を握りしめ、体を剣に任せるように突っ込んでくる。それは捨て身とも思える、疾く鋭い刺突だ。
対するラヴァは、明らかに反応が遅れた。射手を守る為に爆風に背を向けていたからだ。瞬時に振り返った時には、すでに剣士の剣先は、ほとんど喉に達していた。射手も一瞬、主君の喉が貫かれたものだと錯覚した。
だが、ラヴァが下段から片手で振り上げた大剣は間に合った。大剣が下からの銀弧を描き、剣先が喉に接触する寸前に長剣の根元に激突。剛力と遠心力が合わさった一撃は一瞬の停滞の後、軽々と長剣を上に弾き上げた。そして、剣に引っ張られるように剣士の体が浮く。次の瞬間、空中で身動きがとれない剣士に、ラヴァの右正拳が飛んだ。
激突する。
剣士が両腕を交差させ防御するが、ラヴァの拳は止まらない。一瞬で剣士の右手甲を砕き、そのまま一歩踏み込むと、一気に振り抜いた。踏ん張れない剣士はそれで吹き飛ばされ、背中から壁に激突、勢いで背で壁をぶち抜く。そのまま剣士が壁の向こうに消えると同時に、爆風が収まった室内に今度は砂煙が舞った。
射手は、それを見ても今度は安堵はしなかった。代わりに鋼弓を構え、剣士が倒れた先に向ける。射手は決して二度も油断をしない。主君に仇成すものは、射手がこれを射ち抜かなければならない。その覚悟に応えるように、崩れた壁の向こう、昏い空洞から蒼い光が漏れた。転移術式の光だ。
即座に射手が爆裂式を乗せて射ようとするが、ラヴァがそれを射線に割り込む事で抑えた。退いて下さい、と声をかけようとした射手に、ラヴァは片手で、よい、と再び抑え、そして見る。崩れた壁の向こうに立ち尽くす、剣士の姿を。
ラヴァの視線の先で、剣士は長剣を杖代わりにしながら、それでも立っていた。足下から生まれる光に照らされるその顔は、苦しげな呼吸音とは裏腹に表情が無い。だが、その作り物のような顔の中、瞳だけが感情を示していた。
抗議。
剣士の瞳は、確かに何かを抗議しているように、射手には思えた。主君もそう思ったのだろうか、動かず、ただ剣士を見つめていた。そのまま静寂が、部屋に満ちるように積もる。だが、
「サブナクよ」
ラヴァが、その静寂を破った。その声には先程までの高揚感はなく、どちらかといえば、哀れみが込められていた。
「何故、お前はそこまでして戦う」
問うた声に、剣士、サブナクは応えない。
「言っておくが。何度やろうが、お前は私には勝てん」
告げた声に、サブナクは震えた。
だが、彼は動かない。今はその時ではない事を知っているからだ。
それを見て、ラヴァはため息を一つ。
「サブナクよ。…お前は強いな。私は数多の者達と剣を交えたが、お前程戦えたのはそうはいなかったよ」
だが、とラヴァは続ける。
「分かるか、お前は犠牲者なのだ。今のこの世界の在り方のな」
「……」
「私はそんな世界を変える為に剣を取っている。だから、私はお前を殺さないよ。…何度でも挑んでくるが良い、相手をしてやる。何時か、お前を救ってやれるまでな」
「……」
「それだけだ。さぁ、行くがよい。また会おう」
ラヴァが言い終わると、再び部屋は沈黙に包まれた。そのまま静寂が室内を支配し、やがて発光と共に術式の構築が完成した。その結果として転移が顕現しようとした瞬間、唐突に動きが生まれた。
それは、鋼で出来た鎧だった。つまりはアルマ・フォン・ヴィッターハウゼンだ。サブナクに倒された後倒れたままだった彼女は、皆に忘れられていて、だからサブナクも咄嗟のアルマの動きに反応出来なかった。甲冑を着込んでいるとは思えない軽さで、
「…好きなだけやって、逃げる気ですか!」
と叫ぶと、彼女はサブナクに掴み掛かった。咄嗟にサブナクは空いていた右手で払うが、篭手で固められたアルマの手は難なくそれを受け止める。かすかに眉をしかめたサブナクが長剣で手首を切り落とそうとした瞬間、一際強く蒼の光が舞った。それは転移の兆候であり、
「……!」
「逃がしませんよ!」
「…いけない!」
「総監!」
四者四様の反応を発生させて、即座にサブナクとアルマの姿が掻き消えた。そしてその場には、憮然とした顔のラヴァと、困惑顔の射手だけが残された。
盗賊窟から東の、無人の丘陵。
闇夜の下、静かに草を揺らしていたその場所に、唐突に蒼い光が生まれた。転移の脱出口が確定した事による、空間の揺らぎだ。揺らぎが拡大し、一際光が強く輝いた瞬間、虚空から二人の人間が吐き出された。サブナクとアルマだ。二人はもつれ合いながら、そのまま地面に叩き付けられる。
激突の瞬間、サブナクは無言でアルマを下にした。甲冑を纏った彼女は、だから軽く苦悶の声を上げたが、教会印の甲冑は高性能だ。激突の衝撃は緩和され、彼女に反撃を可能とさせた。その結果、彼らは丘陵を転がる事になる。草が緩衝剤となって衝撃を和らげはするが、二人分の体重と鎧の重量は転がる彼らを停止させない。
上になり、下になり。彼らは丘陵を転がり続けた。互いに隙を見て攻撃しようとするが、お互いがそれを許さず、転がり続ける。その間に幾度も体が軋み、呼吸が困難になる。視界が反転し、脳が揺さぶられ、世界が不明確になり、時間感覚が変質する。このまま終わりが無いのではないか、とさえ思えた。
しかし、終わりは突然来た。
それは無数の黒い帯の形をしていた。突如現れたそれは上方から二人に迫ると、一瞬で分裂。極細の黒き糸となり、一気に二人の全身に巻き付いた。腕を、足を、胴を、首を、それは拘束し、そのまま二人を天高く持ち上げて停止させる。
「おいおい。なぁにいちゃついてるんだよ、お前ら?」
悪戯っぽいその声は、帯の来た方向から響いて来た。
それはサブナクが良く知る声であり、アルマが知らない声だった。だから、何者ですか、声を上げたのはアルマだ。その詰問に対し、声の持ち主は笑いながら告げた。
「てめぇらが仲良く殺してくれた、盗賊団の
そう言って、彼女は丘陵をゆっくりと降りて来た。
鳶色の瞳に、後ろで括った白の長髪。手には装甲された大鞭が握られ、黒の帯はそこから派生している。
魔甲大鞭・<
「サブナクを待ってたら、面白いオマケまでついてきたなぁ。さぁて、どうしてくれるかな?」
Kukuku、と邪悪な笑みを浮かべた彼女は
手首を操作。それだけで無数の黒き帯の一つ一つが敏速に動きを持ち、たちまちサブナクの拘束が解除された。固定を失ったサブナクが自然と落ちるが、しかしその落下は地面に至る途中で停止した。途端にマスターの笑みが消え、代わりに不機嫌そうな声が生まれる。
「あ?」
形の良い眉をしかめた視線の先。落ちたサブナクは、右腕で空中のアルマの左腕と繋がって固定されていた。無言で大鞭を動かすと帯が移動し、二人の連結部分が晒される。サブナクの右手とアルマの左手、そこは。
「…あちゃー。やっちまったな、お前ら」
見事に融合していた。