往々にして、力ある者はその力を更に強める事を望む。その結果、犠牲となるのは力なき者達と相場が決まっている。
その街は、そうした力なき者達が集まって生まれた街だった。屈従を疎み、しかし束縛に立ち向かわず、力から逃れ、集う事によってお互いを支え合う事を選んだ者達の街。
アインブルグ。
遠くの言葉で、「一つの街」を意味するこの街は、この時代にあって数少ない自治都市である。王権に組みせず、自立自存を旨とするこの都市は、だから王が存在しない。街の政治の一切は市民の代表者である評議会が執り行い、安全保障は評議会が指揮する自警団が担当している。
この街の歴史は、数十年前に諸国から流れてきた難民達によって始められた。当時何も無かったこの土地に人々は家を築き、壁を設け、彼らが生きていける場所を作っていった。そんな寄せ合い集落に過ぎなかったそれは、当時契約派宣教師だったシオン・イサドリオスが噂を聞きつけて訪れた事によって、初めて街としての体裁を整えた。それから更に数十年の時が流れたが、今でもこの街は訪れるもの全てを区別なく受け入れている。街を頼ってやってくる弱者達は、かつての自分達自身に近いからだ。
そんな街だから、そこには様々な人々と、そして非人間が集まってくる。
非人間。<コネクテッド>と呼ばれる彼らは、遥か遠くの時空からやってきた難民だという。それぞれ違う場所から来た彼らは、だから姿に統一性が無い。人とほとんど変わらない姿の者もいれば、直立した蜥蜴のような姿の者もいるし、鉄の体をした者さえいる。
彼らの中には<神>と崇められる程強力なものもいるし、<鉄鬼>と呼ばれる集団に至っては大陸を一個丸々支配している。だが、彼らの元々の属性が難民であることには変わりなく、基本的にその立場は弱い。アインブルグには、そういった弱き者達も流れ着いている。
だが、多種多様な者達が居れば、当然いさかいは絶えなくなる。その影響でアインブルグにも貧民窟が生まれ、治安が悪化した地域も生まれた。評議会は積極的に貧民の待遇改善に力を入れているが、それも表向きの事。実際には貧民街や隔離区は当局からも見放され、荒廃の途をたどっている。
そんな"まとも"な人間なら近寄りもしない地域を、今三人の人間が歩いていた。一人は遠くからも目立つ白髪の、しかし若い女だ。彼女が先導する形で、無表情な蒼髪の青年と、やはり若い甲冑の女が後ろから続いている。
マスターに、サブナクとアルマだ。
マスターは両手を頭に回し、口笛を吹きながら歩いている。だがその後に続く二人、特にアルマからは険悪な空気が放たれていた。原因は明らかだ。彼女の装甲に包まれた左腕の先、篭手に包まれた左手があるべき場所は包帯で包まれ、横のサブナクと連結されていた。遠くから見れば、二人仲良く手を結んでいるように見えるだろう。
だが、包帯の下は実に酷い事になっている。
弊害。
一人用の転移陣を二人で使った弊害だ。転移陣は一度使用者を限りなく小さな部分まで分解し、その後転移先で再構築する事によって作用している。だから盗賊窟で強引にアルマが割り込んだ結果、彼女の左手と、その左手が掴んでいたサブナクの右手との構築要素が入り乱れ、同一のものとして再構築されてしまった。
「ま、中途半端なところでくっつかなかっただけ、ましだろ?」
とマスターは肩をすくめて言ったが、当然問題は多々ある。
だから彼らは、この状況をどうにかできそうなマスターの心当たりの元へと向かう事にした。心当たりはアインブルグの中、<コネクテッド>隔離区に隠れ住んでいるという。だから彼らはアインブルグの中に再潜入し、今そこへ向かっている途中だ。
「…なのですけど」
「ああん?」
溜め息をつきながら呟いたアルマに、マスターが反応。
少し後ろを向いて、こちらの顔を覗き込んできた。
「どうしたお姫様。ひょっとしてお手洗いか?サブナク気絶させるかー?」
「………」
「違いますよ!!」
強い口調で否定し、しかしアルマは俯いた。
「ただ。…まさか、賄賂渡しただけで守衛をあっさり誤摩化せるなんて…」
「ああ、そりゃしょうがないよ。それにあたしも個人的に顔効くしなー。盗賊窟潰されたのが知られてなくて良かったよ」
「…私としては、街の中に盗賊窟が在った事自体許せないんですが…」
「ハゲ下暗し、って言うだろ?人間、自分の近くにあるもの程目に映らないもんだよ」
「そんな隠語的標語ありませんっ。…ですけど、まあ、確かに有効でしたね。ラヴァ殿が断言した時は私も半信半疑でした」
「そりゃそーだろーよ。評議員が匿ってたからなー、うちんところは」
「……え?」
アルマが立ち止まり、疑問の声を上げた。
マスターは声を上げて笑い、しかし歩みを止めずに告げる。
「だからぁー、うちんところは評議員に匿われてたんだよ。知らなかったかい、お姫様?まあ世界の明るい所しか見てなさそうなあんたは知らなくても無理ないか?」
愉快そうに言う背中を、アルマは呆然と眺めた。無意識に体が動き、マスターの肩を掴もうとするが、その動きは連結したサブナクによって押し止められる。途端、先行していたマスターが振り向き、接触しそうな程に顔を近づけて来た。そして、笑みを消して言う。
「お前らはただしーい法とやらを根拠に、あたし達を否定するけどね。あたし達はあたし達なりに、世界に必要だったんだよ。そこんところ分からずに無理矢理嫌がるあたし達を力づくで犯してくれちゃった純情童貞なあんたには、その辺の落とし前付けてもらうよ?」
「…………」
「おいおい、黙ったらサブナクと区別がつかないじゃないか。喋れよお姫様」
ぐ、と震えたアルマが反論しようとする。だが、
「なぁんてな。そういう話は後でいーよ。まずはお前ら分離させるのが先だ」
再び笑みを浮かべて、マスターはそれを制した。納得がいかないアルマは抗議しようとしたが、マスターはそれを右手を壁に打ち付ける動作で無視。思わず身を竦めたアルマが壁を見ると、壁の表面が波紋のように揺らいでいた。そのままマスターの右手が壁に沈んでいく。
「…此処が?」
「ああ。心当たりの根城だよ。《俯瞰の黒》《百喜夜光》《兇神邪》。…頭の悪い字ばっかり持ってる奴だからな、お前も知ってるだろ」
ええ、とアルマが頷き、しかし不可解そうに眉をしかめる。だって、
「アフリマンは…」
「あん?どうしたよ?」
体をすでに半分程壁に沈めながら、顔だけでマスターは振り向いた。目で続きを催促され、アルマは言葉を選び、口を開いた。
「盗賊窟を攻略した時に、我々に協力しているのですけど」
「……あ?」
「ほら、貴女の所の《網》を構築したの彼でしょう?貴女達を駆逐する為には奇襲が必須でしたから、《網》の無力化も必須でして」
「………」
「………」
押し黙ったマスターと、普段通りのサブナクを尻目にアルマは続ける。
「だから、ラヴァ殿が直接交渉して協力してもらったんですよ。案外快く引き受けてくれて、助かりました」
「いやちょっと待てお前」
おいおい、とマスターは左手の平を出してアルマを制する。その行動に対して、アルマは力強く頷いた。
「ということはだな、確認したいんだが」
「ええ。…さようなら、短い仲でしたね」
「うおー!お前やっぱり腕ぶった切ってでも売っ払うべきだったー!!」
「させるか慮外者がぁー!」
次の瞬間、叫び声を合図に周囲に佇んでいた浮浪者が立ち上がり、揺らいでいた壁から武装した男達が飛びだし。
三人は元気よく、取り囲まれた。
[back][next]