剣の記憶   第一節 深淵騎行


 …たったったっ。

 足音が、闇の向こう側からやって来る。
 冷たい石造りの向こうから聞こえるそれは、しかしすぐに近づいてくる。
 そして、曲がり角に備え付けられた松明に照らされ、足音の主が姿を現した。
 目元だけが露出した黒衣を纏い、片手に長剣を携えた少年だ。
 淡い炎に照らされたその顔には、披露も、緊張も感じられない。
 彼は回廊を疾く走る。黒の装束が、生み出される風に翻る。
 原始的な照明設備の光は弱く、しばらく走れば視界は闇に閉ざされる。
 しかし彼は逡巡せず、闇の中へ疾走し続ける。あたかも、闇の中を見通している様にその足音には揺らぎがない。

 …たったったっ。
 そして、来た時の様に、足音が静かに闇の向こうに消えてゆく。
 後には何事も無かった様な静寂だけが取り残される。

 今、少年は一人組織の連絡塔の一つに向かっていた。

 

  第二節 疾走の蒼

 

 "まず連絡塔を奪還!"

 

 それが「マスター」の下した命令だった。
 連絡塔の一つを奪還すれば、そこから施設全体の状況を把握できるし、ゴーレムなどの魔法生物コンストラクトを発動させる事もできる。その為に立て籠った構成員達は三つの隊に分けられ連絡塔奪還の為に行動を開始した。先ほどまでは半分怯えていた彼らだったが、彼らもその道の玄人だ。生き残る為には「マスター」の命に従わなくてはならない事を悟るやいなや、表情を仕事を行う時のそれと変え、装束を翻し隠し通路から外へ駆けていく。

 少年も、当然それに続こうとした。
 武器は短剣八本に、苦無五本、法符が三枚。
 充分な装備とは言い難いが、この隠し部屋ではこれ以上の装備は望めない。途中、何処かで調達しようと思いながら駆け始めようとすると、
「お前は待ちな」
 背後からの声と共に、装束の首根っこを捕まえられた。
 一瞬息が詰まるが、問題ない。息が詰まるのには馴れている。
「お前はあいつらとは別行動。というか、あいつらは全員陽動」
 言葉と共に声の主が首から手を離したので、背後に振り向く。
 そこにいたのは、白く長い髪を後ろでくくった鳶色の瞳の若い女性。マスターだ。
「正直惜しいけどねぇ、此処はもう駄目だ。だから、あたしだけ逃げさせてもらうよ」
 あっさりと"仲間"達を見捨てたマスターの言葉に、しかし少年は沈黙で応じる。マスターもそれを気にもせず、くるりと踵を返して、そのまま部屋の隅にまで歩く。
「まぁ、私もちぃと甘かったって事かね。百人も組員がいれば、流石に手を出してこないと思ったンだけど…あの野郎、人数とか関係ないのな。一撃で30人も吹っ飛ばしやがった。しかも《網》が反応しない辺り、ちょー強力な魔術師なまでいやがるんだろうな」
 悪態とも後悔とも付かぬ言葉を続けながら、マスターは壁の、よくよく見れば周囲と色が異なる10センチ四方の部分を片手で押した。すると抵抗なく壁が後ろに引っ込み、壁の後ろから重低音がかすかに響いてくる。それを聞くとマスターは満足げに頷き、そのまま膝を屈めた。
「…で、仕方ないからあたしはトンズラこく訳だけど……」
 マスターの手が床を探り、そのまま石畳の一つをおもむろにひっぺがした。そのままマスターが石の固まりを放るが、落ちた時の音は軽い。つまりは偽石だ。
「……流石に一人だとこれからの再興も難しいから、ね。お前も逃げな。此処のはあたしが使うけど、緊急用の転送脱出陣は、連絡塔に一つずつあるからさ。これから一っ走りして、弐号塔ので脱出するんだ」
 そういいながら、マスターは剥がした石畳分できた床の穴に手を突っ込み、そのまま抜いた。同時に何か長いシルエットがマスターの手から放られ、少年の方に飛んでくる。
 少年はそれを、目前で右手で受け止めた。鉄の重みが腕に伝わってくるが、少年の筋力はその衝撃をものともしない。
 そのまま視線を右手に向けると、蒼色が目に飛びこんでくる。それは、蒼い鞘に収められた長剣だった。鞘から柄まで、何もかも蒼い。しかも、鞘にびっしりと刻まれた魔印ルーンを見るまでもなく、強い魔力を帯びているのが分かる。
「……これは?」
「餞別だよ」
 視線を剣から上げ、マスターを見る。視線の先のマスターは、久しぶりに見る笑顔を浮かべていた。
「どちらにしろ、この組織はお仕舞いだからな。今まで、よく働いてくれた」
 苦笑。
「…ま、こんな言葉お前には皮肉にしかならないか」
「………」
「…あ、でもその剣あげたわけじゃないからな?脱出したら落ち合ったら返せよ?」
「………」
「返事は?」
「………」
 びしっ。
「………承知」
「よろしい」
 マスターが魔甲大鞭”魔女の戒めリリスコントラクト”を仕舞いながら、尊大に言う。
「じゃ、そういうわけだ。気張れよ、ソードダンサー?」 
 そう言うと、マスターは笑みを消して転移開始。現在座標と目的座標を合一化し、消え去ってしまった。

 

 

 

 少年は、その後すぐに隠し部屋を後にした。
 勿論隠し部屋はその際自壊させた。あの手の転移陣は一度使用すればしばらくは使えないが、魔術師がいれば転移先を特定されてしまう恐れがある。だからこそ、マスターは少年を部屋に引き止めたのだ。あの状況では、少年以外に後始末を頼める人間はいない。そして、今はマスターが最後に言った通りに弐号塔に向かっている。本当にそれぞれの塔に転移陣があるかどうか、少年は知らなかったが、 
 ……こんな上等な剣、マスターが最後に捨てていくはずはない。
 だから、きっと、転移陣はあるのだろう。少年はそう思った。だから、少年は更に疾走する。

 彼の感覚に、弐号塔が見えたのはすぐだった。そこから感じられる物音は複数、かつ鎧を着込んだ者特有の金属音が聞こえる。せっかく渡された剣の持ち味を試すのには丁度いい相手だ。だから少年は蒼の剣を引き抜き、一気に敵中に飛び込んだ。
   

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