剣の記憶    第三節 暗闇からの奇襲


 冷たい石造りの通路がある。
 その通路は、重装の戦士が通りにくい様に狭く、暗く作られていた。壁に備え付けられていた松明には明かりがなく、窓一つない通路は暗闇に閉ざされている。典型的な盗賊掘の姿だ。
 そんな通路を、片手にカンテラをもった男達が駆けていた。数は四人で、二人ずつ並んでいる。そして、彼らが生む重々しい靴音は彼らが盗賊ではなく、戦士である事を雄弁に示していた。
 完全武装の戦士。それは盗賊にとって、天敵とも言える存在だ。盗賊達は本来精密な作業を行うのが本職であって、体力勝負ではとても本職の戦士には敵わない。だからこそ盗賊達は仲間同士で結束し、極力その存在を隠す。そして、それでも嗅ぎ付けてくる輩は暗殺し、見せしめにする。彼らに関わる事が、あらゆる意味で割に合わないことを告げる為に。
 だから、現在のこの事態は異常と言えた。どんな戦士でも盗賊の集団に関わるのは尻込みするというのに、今通路を駆ける戦士達には怯えも戸惑いも見れず、そして事実すでに盗賊達を圧倒している。
 と、唐突に先頭の男が歩みを止めた。それと同時に後を行く男達も一瞬をもって停止する。彼らの視線の先、闇を切り裂いて現れたのは蒼い影。それは片手に蒼い長剣をもった、まだ若い男だった。その少年は剣を片手に静かに、無表情に、一気に距離を詰めてくる。
「気をつけろ、来たぞ!」
 先頭の男が後続に、警戒の超えを投げかけた。まだ子供ともいえる少年の姿にも、男達は油断しない。子供を暗殺者に仕立てるのは定石だからだ。毒を塗った短刀があれば、どんな小さな子供でも人は殺せる。男達はその経験から、それを良く知っていた。
 しかし、それでも背後から突如爆音が響いた時、男達は咄嗟に反応してしまった。その瞬間、少年の剣を持たない方の手から二つの輝きが迸り、後ろを振り向いた二人の男の首から血飛沫があがる。
「……ッ!」
 驚いた男達の視線の先にあるのは、投擲用の短刀。刺さった二人は困惑を、それを見る二人は驚愕を、それぞれ瞳に浮かべた。そしてそのまま刺さった方の二人はぐらりと体を傾け、床に倒れた。その表情に苦痛はなく、むしろ呆然の色が強い。
 二人の仲間が一瞬倒れたのをみて残り二人の内、若い方は戦慄した。たった今死んだ二人はある程度名の通った戦士達だったのだ。死線も、一度や二度ではなく超えている。そんな男達が、こうも簡単に殺されるものか。
 彼がそんな迷いを抱いたのは、時間にすればわずか数秒だった。しかし、近接戦闘における数秒の硬直は百死に値する。少年がその隙を見逃す筈もなく、一瞬をもって距離を詰めてきた少年の剣が蒼銀の弧を描いて彼に迫り、
「がああッ!」
 もう一人の男が横から伸ばした剣が、それを受け止めた。激しい金属音と共に青い火花が散り、一瞬双方の影が通路に刻まれる。
「動けっ!ぼやぼやしてると死ぬぞ!」
 まだ動けない若い仲間に激しい叱咤の声を飛ばすと、男はカンテラを少年に向けて投擲。少年はそれを首を動かすだけで回避し、すかさず反撃の手刀を放った。体を捻って放たれたそれは、岩をも穿つ勢いで男の首に迫る。男は少年の右手首を切り落とそうと剣を動かそうとするが、
「……なっ?!」
 少年の蒼剣と交差したままの剣は、動かなかった。不可解な出来事に男の体は硬直し、だから手刀を避ける事が出来なかった。その刹那の時間に少年の指先は男の咽頭部を難なく貫通。男は最後に泡の様な血が喉から上がってきた事をだけを自覚して、意識を暗い闇の中に沈めていった。
「…………」
「……ひっ」
 少年の眼差しに貫かれて、若い男は小さな恐怖の声をもらした。彼が見ている前で目の前の少年、いや、悪魔はリーダーだった男の首から右手を引きずり出している。悪魔の繊手、とまではいかないにしても決して太くはない指が、ゆっくりとリーダーの太い首から引き抜かれる様は、悪夢と見間違えんばかりだった。それは、決して実戦経験がないわけではない彼が、恐怖で動けなくなる程の光景だった。
「……お、お前が…  そうなのか…」
「………」
 少年が指を引き抜ききると同時に、力を失ったリーダーの巨躯が崩れ落ちた。鎧が床とぶつかって、金属音が響く。
 だが、そこで奇妙な現象が発生した。
 すでに事切れたリーダーの、その剣だけが何故か悪魔の剣と交えられたまま停止していたのだ。彼は一瞬理解できず、目を細めて現象を見極めようとしたが、悪魔はそれを許さない。悪魔はただ沈黙をもって彼を睨むと、血糊を払う様に真横に剣を振るい、それでリーダーの剣は何事もなかった様に床に落ちた。剣が、床に落ちて乾いた音が冷たい通路に響く。
 その音に彼は固唾を飲むと、カンテラを放り捨て剣を両手で握り込んだ。そして、糾弾する様に剣先を少年に向けた。
「あの方から聞いている… 此処の盗賊窟の中で唯一、奇襲ではなく、強襲を得意とする斬殺鬼がいると。 《殺戮之尊》《刻む悪夢》《蒼の沈黙》…  剣の悪魔!」
 そう言うと、彼は全力で踏み込んだ。それは突き。基本的剣技の中で最も速く、そして破壊力がある技であり、同時に躱されたら致命的な隙を生み出す技でもある。彼は、捨て身としか思えない勢いで、その技を放った。
 選択は、間違ってはいなかった。
 明らかに実力差がある以上、自分の全てで相手にぶつかるのは上策だった。少なくとも気圧されたまま戦うよりは、幾分かましだっただろう。
 だから、間違っていたのは戦う相手だったのだ。
 彼の突きは確かに鋭く、力強かった。だが、いみじくも彼が先程言った様に、彼が戦っている悪魔は三つもの字(アザナ)で呼ばれる剣士だ。一介の戦士である彼と、そんな悪魔との差は余りにも大きい。
 その差は一瞬をもって結果に繋がった。悪魔は彼の剣の下に潜り、彼と入れ違う様にゆっくりと歩き、たったそれだけの事で彼は四つに分断されてしまった。彼の必死を、悪魔は平静に突破し、切断し、解体し、そして、殺害した。
 彼は、ゆっくりと床に落ちる自身の視線を自覚した。落ち逝く意識の中、彼は最後に自身を殺した悪魔を見ようとし、その望みを叶えた。
 視線の向こう、悪魔は闇に向けてゆっくりと疾走していた。我ながらおかしな表現だとは思うが、その時の悪魔の動作は、そうとしか表現できなかった。悪魔は迅速に、しかし急がず、彼らがやってきた方向へと走る。その向こうにはまだ彼の仲間達がいるが、きっと悪魔は彼らを無表情に、殺戮してしまうだろう。
 悔しいな、と彼は素直に思った。しかし、ある意味諦めもついた。集団としての彼らは全く全力を出せずに敗北したが、彼自身は全力を出せたのだから。それに彼の仲間は殺されてしまうだろうが、彼には仲間ではない、きっと悪魔にも負けない人達がいる。
 だから、彼は無念を残さず、そのまま死んだ。前進する悪魔を、その瞳に映したままに。

 そして。

 物語が次の段階に進むまで。
 こうした事象が、更に数回繰り返された。
 ザクザクと。ザクザクと。

―――――――――ザクザクと。
 

 


 

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