(5)/晴天の団欒
冴え渡る青い空がある。
遥か昔から変わる事のないその下に、巨大な像が同じように聳えていた。
吸血鬼殺しの英雄の像だ。
右手には十字架を持ち、左手には剣を携え、その足下に首を失った死体を踏みつけている。
青銅製のその肉体は、すでに緑青で覆われ当初の輝きはない。
しかし、像の瞳には宝玉がある。その宝玉だけは未だ輝きを失わず、遥か東方を睨みつけている。
そんな曰くがある像に凭れ掛かって、俺は一人待ち惚けていた。……暇だ。
この日の俺の思考の大半は、それに尽きた。
もちろん、俺とて真面目に人狼を捜索してはいた。それは陛下と実家に残してきた愛猫に誓っていい。しかし、しかしだ。誰がこんな良い天気に血に餓えた人狼を探す気になる?それに、どちらにしろ、人狼の動きが活発になるのは夜だ。昼間も奴らが獣化できないわけではないが、化け物が悪事を行うのは大体夜中と決まっている。
まあ、そんなわけで俺は早めに集合場所に来ていたのだが…「何故二人とも定刻の二時間後になっても来ない…?」
そうなのだ。集合時間は、確かに午後三時だった筈なのだが、今はすでに午後五時だ。
まだ夏至を超えたばかりだから日は高いが、それにしても遅い。
先程から市の精霊式通信網で二人に交信を試みているのだが、完全に反応がない。
ライブは何時も通り無視しているとしても、姫様の方は何故だ?まさか使い方が分からないのか?
あり得ない話でもない。何せあの姫様は、文字通りの箱入り娘だからな…
ちょっと一般的な社会教育を施す必要があるかと俺が真剣に悩み始めると、それを遮る様に突然の快音が響いた。
振り向いてみると、今日の朝酒場で見た男と同じ類の人間、つまり社会的駄目人間が目の前を吹っ飛んでいた。あまりにシュールな出来事に、一瞬体が固まる。
「りゃあああああ!!」
誰かの高い叫び声が聞こえたかと思うと、再び快音。またも巨漢が向こうの方を飛んでいく。
しかも、それが連続する。
1、2、3、4、5。
叫び声が響く度に、男が同じリズムで吹っ飛んでいく。
男が吹っ飛ぶ前に響く声は、皆同じものだ。
その叫び声自体は罵声どころか、ちょっと大げさにいえば戦乙女の歌声のようなのだが(いや、これは言い過ぎだな)、吹っ飛んでいるのが男という時点であまり感動できない。だが、残念な事に俺はそんな声で大の大人を吹っ飛ばせる歌姫を一人知っていた。
「アニター!?」
「ん? ああ、リオンか!待たせたな!」
こちらに気付いた姫様が、勢いよく右手を振ってくる。その度に左手で襟元を掴まれて足が宙に浮いてるスキンヘッドの男が苦悶の声を漏らしているのは、俺の幻覚だと思いたい。
てか、幻覚じゃないと俺が発狂する。
「済まないが、もうちょっと待っててくれ!この者共の始末をつける!」
口調は言葉通り済まなそうだが、その間もスキンヘッドの顔がみるみる蒼くなっていく。
ちょっと待って下さいお嬢様、一応ぺヌエルは法治都市ですよ?確かに中央から放置もされてるけど。
俺がそんな下らない駄洒落に精神を任せ始めるのを他所に、アニタはそのまま軽く左手を振って男を放る。体重80kgは下らないであろう男が、しかし、そのまま放物線を描いて、「燃えるゴミ それ以外の物を捨てた者は逆追跡術かけて燃やす!」と刻まれた恐怖の屑篭に頭から突っ込む。世間知らず、ついでに法律も知らないお嬢様だがゴミの分別はできてるらしい。
それを見るとアニタは「いい仕事をした…」とでも言わんばかりに、何故か爽やかな汗をハンカチで拭い、そしてこちらに近づいてきた。
「下々の者は難しいな。タマネギを喰えと頼んだら、何故か逆上してきた襲いかかってきたので返り討ちにしたが… おかげで徒に時間を費やしてしまった。まあ、良い運動にはなったけど」
「あー、アニタ。あんまり聞きたくないんだが、何人返り討ちにしたんだ?」
「一々数えてなどいないが…そうだなぁ、30人、いや、40人は… どうしたリオン?頭でも痛いのか?」
「色々な理由で、しかし、たった一つの原因が元で頭が痛い…」
「??」
アニタが、首をかしげる。その動作は可愛らしいが…この姫様は、マジで分かってないから始末が悪い。
周囲を見渡すと、明らかに怪訝そうに通行人がこちらを見ていた。いかん。これは、あまり良くない状況だ。
「とりあえず、立ち話もなんだ…。ちょっと向こうの健全な喫茶店でもいこうか」
俺は、アニタの返事を待たずに彼女の手をとって歩き出した。
姫様が、振り払いはしないものの抗議の声をあげるが、差し当たって俺はこれを無視。
アニタを引っぱりながら後ろを振り返ると、そこには無数の好奇の視線が輝いていた。…嫌な感じだ。
「しかし、こんな事でまたアニタと会うとはね。奇遇なもんだ、実際」
俺とアニタは、ちょっと小洒落た喫茶店に入っていた。勿論、未成年が飲んではいけない有機化合物入り飲料などは置いてない店だ。ウエイトレスがやってきたので、俺はコーヒーを、アニタは色々頼む。ウエイトレスが正しい角度で頭を下げ、立ち去っていく。
うむ。発音といい、接客態度といい、良い職業訓練が施されている事が分かって好感がもてる。
そんな事を思いながら視線をウェイトレスからアニタに戻すと、何故かアニタは俯いていた。
「…ああ、そうだな。最後に会ったのは、六年前の帝都だった」
「侯爵が開いた舞踏会だったかね。懐かしいな、あれももう六年前か」
六年前。ああ、そういえば、あの頃はまだ俺も貴族だったな。
「そうそう。父君がリオンに一騎打ちを挑みかかったりして大変だったな」
ふふ、とアニタが顔をあげて笑う。思わず釣られて俺も笑うが、あれ、実は後で本当に一騎打ちした事をこの姫様は知っているのだろうか。此処だけの話、大事な血管のすぐ横刺されたりもしてるんだが。
「…侯爵は武人だからね、俺みたいな奴をみると叩き直したくなったんだろうさ」
「はははっ、そうかもな。でもあの後、意気投合したと聞いたぞ。解散の後、真夜中なのに一緒に狩りにいったらしいじゃないか?」
「……」
「父君ったら翌朝帰宅した時には帰り血まみれでな。母君がそれを見て、卒倒してしまったよ。二人して、随分頑張ったんだな。良い歳をして、子供みたいだ」
可笑しそうに笑ってるが、アニタ。その返り血は間違いなく俺のだぞ。
「ん?どうした?」
「…いや、なんでもないよ」
「そうか?何か言いたそうに見えたんだが?」
「滅相もない。単にあの時の侯爵の剣捌きを思い出しただけさ」
「おお、そうかそうか。そうだな、父君の剣は帝国随一だからな。私も日々鍛錬は欠かしてないが、とても父上の領域にはまだ届かない」
まだ、って何時かは届くつもりかよ。そう言いたかったが、流石に偉大な父親を誇り高げに語っている美少女の想いに水を差す程俺は野暮でもないし、無謀でもない。
「心強い事だ。侯爵みたいな使い手が二人もいれば、帝国も安泰だな」
「何を他人事の様に言っている。リオンも、それ位の使い手になってもらわないと困るぞ」
「いや、無理」
「何を言う。父君はリオンなら同等、あるいはそれ以上の領域に達せると…」
「いや、無理」
「リオン、その若さで駆逐士の第四位まで登り詰めてる人間なんかほとんどいない。間違いなく貴方には稀代の武術の天分が…」
「繰り返してて正直自分でも情けないんだが、無理だ。人にはそれぞれ限界ってものがあるのさ、アニタ」
「そんな事はない!同じ人じゃないか!」
情けない俺に腹が立ったのか、アニタが強く机を叩く。周囲の視線がこちらに集まるのを感じるが、まあ、これ位は仕方ない。
「それは禁句だよ、アニタ。二重の意味でね」
俺はなるべく穏やかな声で、高い高い御姫様に言った。
「例えばさ、俺は円卓十字になんて、候補にさえなれなかったぜ?」
「それは、」
続いて放たれただろう言葉は、しかし、俺の耳に届く事はなかった。
何故かって、窓を突き破ってより強力な音が俺達の間に飛び込んできたからだ。
「「!!」」
咄嗟に轟音に反応した俺とアニタは、跳躍して店内に突っ込んできた闖入者を回避。
次の瞬間には反撃として放たれた二条の抜き打ちの斬撃が、闖入者が振りかざした腕に命中、鮮血をぶちまける。
が。
「堅…っ?!」
「はっ、最近の化け物は昼間から元気だな!」
闖入者の腕に命中した斬撃は、しかし衣服と獣皮を薄く切断した所で止まっていた。
「あ、ああ…!」
弱々しい音と共に、軽い金属音が響いた。横目でみると、そこには先程のウエイトレスが、呆然と盆を落としていた。
ま、無理もない。そりゃいくら従業員教育がなっていても、異形への対処法なんて教えてないよな。
そう。剛い獣毛と、厚い獣皮とで銀の刃を止めていたそいつは、まごうかたなき人狼だった。
「うぉおるううう!!」
咆哮をあげ、人狼が腕を振り払う。それによってわずかに刃が食い込むが、その前に四倍近い体重差の前にアニタが吹っ飛ぶ。
そうだな。いくら剣術が冴えようと、剣が鋭かろうと、純粋な質量の差は埋め難い。
だが、俺、この駆逐士リオンには体重を使った攻撃は無意味にして無謀だ。
「?!」
それを証明する様に、女の腰周り程もある人狼の豪腕を俺の拘束剣が切断。真っ赤な切断面を晒して、人狼がのけぞる。
そのわずかな隙を突いて、死角から突き出されたアニタの長剣が人狼の脇腹を貫通した。重要な内蔵を傷付けられた人狼が吐血しながらも、後方へ跳躍して剣を引き抜く事によって剣の戒めから脱出。そのまま入ってきたのとは別の窓へ体ごとぶつかり、そのまま木製の窓枠ごと窓を破壊した。直後反動で舞った微塵の硝子の破片が近くにいたウエイトレスに降り掛かるが、すかさず俺が割り込み、背中で破片を受ける。視線だけで人狼を追うと、人狼が広場に出ていくのだけが見えた。いかん、逃がすか。
「あ、あの…」
控えめな声に、戦闘思考を中断。俺はウエイトレスに視線を移した。
「ああ、怪我はないか?」
「え、ええ。 お客様、その、」
「礼ならいらないよ、お姉さん。これでも税金で喰ってる身だからね、公僕なのさ」
そう言って軽く片目を瞑ってみせて、俺は視線を窓に戻した。何だかアニタの視線が痛いが、大丈夫、あの流血なら追跡するのはそれ程困難な話じゃない。
「では、そういう事で」
「は、はいっ」
「あ。娘よ、私の注文したものは、後で食べに来るからとっておいてくれ」
「…はい」
片手をあげ、挨拶をすると俺は人狼が飛び出た窓から弾丸の勢いで跳躍。貴族の割には何故か食い意地が張ってる姫様が続いて飛び出し、俺達は夕暮れのぺヌエルを疾走し始めた。... to be continued