(6)/平穏への来訪者
「しかし、こんな事でまたアニタと会うとはね。奇遇なもんだ、実際」
俺とアニタは、ちょっと小洒落た喫茶店に入っていた。勿論、未成年が飲んではいけない有機化合物入り飲料などは置いてない店だ。ウエイトレスがやってきたので、俺はコーヒーを、アニタはなんか色々頼んだ。ウエイトレスは正しい角度で頭を下げ、立ち去っていく。
うむ。発音といい、接客態度といい、良い職業訓練が施されている事が分かって好感がもてる。
そんな事を思いながら視線をウェイトレスからアニタに戻すと、何故かアニタは俯いていた。
「…ああ、そうだな。最後に会ったのは、六年前の帝都だった」
「侯爵が開いた舞踏会だったかね。懐かしいな、あれももう六年前か」
六年前。ああ、そういえば、あの頃はまだ俺も貴族だったな。
「そうそう。父君がリオンに一騎打ちを挑みかかったりして大変だったな」
ふふ、とアニタが顔をあげて笑う。思わず釣られて俺も笑うが、あれ、実は後で本当に一騎打ちした事をこの姫様は知っているのだろうか。此処だけの話、大事な血管のすぐ横刺されたりもしてるんだが。
「…侯爵は武人だからね、俺みたいな奴をみると叩き直したくなったんだろうさ」
「はははっ、そうかもな。でもあの後、意気投合したと聞いたぞ。解散の後、真夜中なのに一緒に狩りにいったらしいじゃないか?」
「……」
「父君ったら翌朝帰宅した時には返り血まみれでな。母君がそれを見て、卒倒してしまったよ。二人して、随分頑張ったんだな。良い歳をして、子供みたいだ」
可笑しそうに笑ってるが、アニタ。その返り血は間違いなく俺のだぞ。
「ん?どうした?」
「…いや、なんでもないよ」
「そうか?何か言いたそうに見えたんだが?」
「滅相もない。単に侯爵の剣捌きを思い出しただけさ」
「おお、そうかそうか。そうだな、父君の剣は帝国随一だからな。私も日々鍛錬は欠かしてないが、とても父上の領域にはまだ届かない」
まだ、って何時かは届くつもりかよ。そう言いたかったが、流石に偉大な父親を誇り高げに語っている美少女の想いに水を差す程俺は野暮でもないし、無謀でもない。
「心強い事だ。侯爵みたいな使い手が二人もいれば、帝国も安泰だな」
「何を他人事の様に言っている。リオンも、それ位の使い手になってもらわないと困るぞ」
「いや、無理」
「何を言う。父君はリオンなら同等、あるいはそれ以上の領域に達せると…」
「いや、無理」
「リオン、その若さで駆逐士の第四位まで登り詰めてる人間なんかほとんどいない。間違いなく貴方には稀代の武術の天分が…」
「繰り返してて正直自分でも情けないんだが、無理だ。人にはそれぞれ限界ってものがあるのさ、アニタ」
「そんな事はない!同じ人じゃないか!」
情けない俺に腹が立ったのか、アニタが強く机を叩く。周囲の視線がこちらに集まるのを感じるが、まあ、これ位は仕方ない。
「それは禁句だよ、アニタ。二重の意味でね」
俺はなるべく穏やかな声で、高い高い御姫様に言った。
「例えばさ、俺は円卓十字になんて、候補にさえなれなかったぜ?」
「それは、」
続いて放たれただろう言葉は、しかし、俺の耳に届く事はなかった。
何故かって、窓を突き破ってより強力な音が俺達の間に飛び込んできたからだ。
「「!!」」
咄嗟に轟音に反応した俺とアニタは、跳躍して店内に突っ込んできた闖入者を回避。
次の瞬間には反撃として放たれた二条の抜き打ちの斬撃が、闖入者が振りかざした腕に命中、鮮血をぶちまける。
が。
「堅…っ?!」
「はっ、最近の化け物は昼間から元気だな!」
闖入者の腕に命中した斬撃は、しかし衣服と獣皮を薄く切断した所で止まっていた。
「あ、ああ…!」
弱々しい音と共に、軽い金属音が響いた。横目でみると、そこには先程のウエイトレスが、呆然と盆を落としていた。
ま、無理もない。そりゃいくら従業員教育がなっていても、異形への対処法なんて教えてないよな。
そう。剛い獣毛と、厚い獣皮とで銀の刃を止めていたそいつは、まごうかたなき人狼だった。
「うぉおるううう!!」
咆哮をあげ、人狼が腕を振り払う。それによってわずかに刃が食い込むが、その前に四倍近い体重差の前にアニタが吹っ飛ぶ。
そうだな。いくら剣術が冴えようと、剣が鋭かろうと、純粋な質量の差は埋め難い。
だが、俺、この駆逐士リオンには体重を使った攻撃は無意味にして無謀だ。
「?!」
それを証明する様に、女の腰周り程もある人狼の豪腕を俺の拘束剣が切断。真っ赤な切断面を晒して、人狼がのけぞる。
そのわずかな隙を突いて、死角から突き出されたアニタの長剣が人狼の脇腹を貫通した。重要な内蔵を傷付けられた人狼が吐血しながらも、前方へ跳躍して剣を引き抜く事によって剣の戒めから脱出。そのまま柱に水平に着地すると、再度跳躍。入ってきたのとは別の窓へ体ごとぶつかり、そのまま木製の窓枠ごと窓を破壊した。直後反動で舞った微塵の硝子の破片が近くにいたウエイトレスに降り掛かるが、すかさず俺が割り込み、背中で破片を受ける。視線だけで人狼を追うと、人狼が広場に出ていくのだけが見えた。いかん、逃がすか。
「あ、あの…」
控えめな声に、戦闘思考を中断。俺はウエイトレスに視線を移した。
「ああ、怪我はないか?」
「え、ええ。 お客様、その、」
「礼ならいらないよ、お姉さん。これでも税金で喰ってる身だからね、公僕なのさ」
そう言って軽く片目を瞑ってみせて、俺は視線を窓に戻した。何だかアニタの視線が痛いが、大丈夫、あの流血なら追跡するのはそれ程困難な話じゃない。
「では、そういう事で」
「は、はいっ」
「あ。娘よ、私の注文したものは、後で食べに来るからとっておいてくれ」
「…はい」
一応言っておくが、これは俺の台詞じゃなくてアニタのだぞ。
ともかく。片手をあげウエイトレスに挨拶をすると、俺は人狼が飛び出た窓から弾丸の勢いで跳躍。貴族の割には何故か食い意地が張ってる姫様も続いて飛び出し、俺達は夕暮れのぺヌエルを疾走し始めた。... to be continued