「さぁ、『牢獄』の中にあって嗤う者よ。貴方には、私に認めさせるだけの望みがあるか?」

 

「… 望み だと?」
「いかにも。」
気に入らないが、流石に困惑する俺に、「黒」はにやにやとしながら肯定する。
そして続ける。

「私が叶えるに足る、という程の願いがあれば、私はしかるべき代償と共にそれを叶えます。私はそういう存在ですから。」

「…  じゃあ、何か? 望めば、此処から出れるって事か?」

「無論。 というか、此処でそれ以外の望みってありますか?」

「黒」の返答にうなる。確かにその通りだ。
願いを叶えるという奴が目の前にいて、此処からでたくないと願わないのは単なる馬鹿かあるいは悟り切った僧侶だ。
俺的にはどっちとも大して変わらないが。

ーーーーしかし。

「… なぁ、 …あー… えーと…」
「アズベールです。…なんなら親しみを込めてアズさんと呼んでもよいですよ?」
とりあえず「黒」の戯言を無視し、続ける。

「アズベールよぉ。てめぇ、それちょっと辛くねぇか?」
「ほう? 何がでしょう?」
「いや、てめぇ普通に怪し過ぎるし。」

「びしっ」と音をたてそうな、良いスイングで人差し指を「黒」に突きつけた。
そう、こいつは怪しい。怪し過ぎる。地獄で地獄を脱出させてくれるのは、普通天使の仕事だろう。
しかし 、目の前にいるこいつは逆から見ても天使には見えない。堕天使になら、かろうじて見えない事もないが。
ーーまぁ、明らかに天使しててもそれはそれで悪魔の罠にしかみえないだろうけど。

「それにてめぇ、しかるべき代償とかほざいてるじゃねぇか。どうせ、魂ってオチなんだろ?」
「… ああ。 貴方はどうも、あまりにも苦しい人間関係を送ってこられた様ですね…。」

「よよよ」と「黒」は悲劇にであわせた人間の様に顔を押さえる。
しかしあまりに大仰なそれは、まぁ、普通に道化のようにしか見えない。

「いいですか? この眼を見なさい。この眼が嘘を」
「いや、じゃあフードとれよ。」
「 … 目に見えるものだけを信じては」
「フードとれ。」
「ですから、貴方達の神というモノも…」
「とれ。」

……………… 。
……………………………… 。

「…   よろしい。では、何か証をたててあげましょう、」

しばらく続いたやりあいの内に、「黒」もとうとう観念したらしい。
奴は握った右拳の人差し指を、顔の前につきてた。

「貴方の一番の願いを叶えてあげる事はできませんが、何か、他の事なら叶えてあげます。それなら代償もいりません。 何がよろしいですか?」
「… そうだな。」
にやり、と勝利の笑みを浮かべる俺。奴の、あのにやけ面も消えただろう… そう思って奴の顔をみるが… そこにはまだ、あの人を小馬鹿にしたようなとぼけた笑みがあった。

「… おい、てめぇ。何がおかしい?」
「ふむ? まぁ、それは、色々とおかしいですが。 ああ、このスマイルの事なら私のデフォルトですけどね。気に触ったのなら失礼。」
「 ……。」
「…まぁ、それに…  どうせ貴方の願いなんて、決まり切ってますからねぇ。」
「…あ?」

「黒」は自信ありげに言い切った。… 何故か、そのふてぶてしい態度に腹が立つ。

「…おい、てめぇ。俺の考えを読んでるとでもいいてぇのか? 生憎、俺はちょっとそういうのは…」
「いえ、そうではなくてね。 えーと。ちょっと気に触るかもしれませんが、言っていいですか?」

… 厭な予感がする。だが、俺はとりあえず頷いた。

「ふむ。 一言で言ってしまえば…  貴方、自分が何処の誰だか分かってます?」
「…      あ?」

ーーーーーーーーーーーーーーーー    愕然とする。

そうだ、彷徨っている時は気付かなかった。
                                             ・・・
俺は、何時から彷徨っているかーーー  いや、それどころか俺は俺が誰だか知らない。 違う、忘れてしまっていた。

「まぁ、当然の事なのですけどね。此処は死んだ貴方の世界。故に他者が存在しないのは必然。…そして、他者がいなければ自己の姿を定められないのも、また必然。」

「黒」の声。そしてそこで俺は、ある事に気付き顔を跳ね上げた。
その視線の先には、俺が考えついた事を言外に肯定する、悪魔の微笑があった。

…  しまった。やられた。 間違いない、こいつは悪魔だ。
だが、もはや俺には抵抗するすべが無かった。自己の愚かさを、俺は悔やんだ。

「… ほう。ご自分が罠にかかった事に気付く程度には、賢い様ですね。」

歯噛みする俺を、「黒」は、アズベールは優しい天使の微笑であざ笑った。

「そうですよねぇ。一度、自身が自身を忘れていた事に気付いたならば。」

「ーーー  もう、その前の状況には戻れませんよねぇ?」

ーーー そうだ。その通りだ。 

一度、自身を喪失している事に気付いてしまっては、また、それを忘れて孤独に戻る事はできない。もしも此処で「黒」に記憶を与えられる事なく、去られてしまったら… 俺は、自身を思い出さず事ができず、されどももはや孤独に彷徨う事すらできず、そして恐らくはこの世界で、永遠に喪失した記憶の焔に焼かれながら発狂し続ける事になる。…その時こそ、この世界は真に俺にとって地獄となるだろう。

…他者との接触こそが、自己を認識する第一歩。

この悪魔は、最初から俺と接触する事によって、中途半端に俺に自我を取り戻させ、魂の牢獄に俺をたたき落とす事が目的だったのだ。

「…  ッ   てめぇ … !」
「おやおや。 何でしょうか? 自ら孤独を捨てたのは、貴方の方ですよ?」

にやりと嗤う「黒」。その笑いが先ほどの俺の笑みを真似ている事に気付き、血液が逆流する。
しかし逆らう事もできない。もしも、このまま奴に去られてしまっては、俺はーーーーー。

「…  まぁ、御心配なく。 『記憶』は差し上げますよ。」

しかし、あっさり「黒」は俺の危惧を撤回した。

「まぁ、このまま貴方を傀儡にしても、それはそれで使えるのでしょうけどね。しかしそれでは、完全ではない。奇跡の浪費に過ぎない。記憶を取り戻したその時こそ、貴方は真に私の望む形となる。」

そこまで言うと、「黒」はまたにやにやと笑いながら俺を見下ろし、そして俺に問いかけた。

 

「…さぁ、どうします? 貴方は、何を望むのですか?」

 

・・・・・・・

ーーー 全てが済んだ時。 俺は、   笑い、そして、吠えた。

何故忘れていたのか。どうして忘れていたのか。
俺は、あやうく俺自身を根絶しなければならない所だった。

許嫁が死に、父上が喰い殺され、そしてーを連れて逃げて、そして死んだ俺。

そう、俺には、 俺にはやらなければならない事がある。 

 

そう、俺の望みはーーー  


燃えたぎる瞳。その狂った瞳の中に、黒い影がみえた。
影は、口元を半月に曲げると何処かで聞いた様な事をほざいた。

「私は、アズベール。ヒトの為に黄昏を導くモノ。そして、望めば、それを承認し、しかるべき代償と共にそれを叶えるものです。」

「さぁ、『牢獄』の中にあって嗤う者よ。はたして、貴方には、私に認めさせるだけの望みがあるのかな?」

「っ  ッはっ 、決まってんだろ!」

俺は、その無意味な質問に腹を抱えて嗤った。そして吠えるようにして叫んだ。

コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスココロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス、ソシテコロシテ、クイコロス!!

熱い呪詛の声を、体の奥から吐き出し、そして再び叫ぶ。

「それこそが、そしてそれだけが俺の望み! さぁ、判定しやがれ、俺の願いはてめぇの眼鏡にかなうか否か!」

「… 結構。大変に結構。ならば、貴方は今より貴方自身ではない。貴方には、よりふさわしき魔神の名を私より授けましょう。」

ふわり。

その「黒」は、重力を感じさせない動きで飛翔し… そして実際重力を無視し、死んだ世界に突き刺さる十字架の前に浮遊した。

ざわざわ。

そいつの、クライ色の装束が翻って世界を包みこむ。

そして、そいつは何かを捧げ持つ様に両手を、厳かに、掲げた。

「…そう、貴方にふさわしきその名は、過去と未来を知る魔神」

「貴方の過去にあるのは惨めな野垂れ死に。 そして、貴方の未来にあるのもまた、野垂れ死に」

「全てを殺し尽くし、そしてまた自分も死して狂気を振りまく、恐怖の王」

「貴方は、いまよりそれとなる。   よろしいですね?」

… くっ くっっ くっ。  俺は、笑いをこらえ、そして叫んだ。

上等だ!

「てめぇの望み通り、殺して喰い殺して殺されて喰い殺されてやる! どうだ、これで満足か!」


俺の言葉に、そいつは答えないで掲げていた両手を、打ち鳴らした。
するとこの灰色だった世界に、亀裂が走った。亀裂から溢れる光。
その光はあっという間に広がると、この世界を飲み干した。
視界一杯に広がる光。
光の奔流が、体を包み込んでいく。上下の感覚が失われ、感触も失われ、何処までが自分の体で何処からが光なのか、曖昧になっていく。ただ、俺という存在が光の中に飲み込まれていくのだけが分かる。
振り返ると、遥か彼方に「黒」の姿がいた。

最後にそれだけ認識した後、俺の意識は急速に混濁し、精神までもが光に浸食されて、消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハイとの決別             

            そして     シュの目覚め

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空は満面の星空。月は、大きく地上を見下ろしている。
その悠久の眼差しの下、一人の男が、一糸まとわぬ姿で横たわっていた。
まるで血の様な色の髪をもったその男は、まるで死んでいるかの様に眠っていた。

冬の、冷たい風が吹く。
男の紅い髪が風に弄ばれ、そよぐ。

それは、何処か神秘的な風景。

しかし、突如その風景に無遠慮な臭いが混じった。

薮の中に、幾つもの緑が光る。
それは獣の眼。餓えた、獣の眼。無防備な獲物を見つけた、獣の眼。
獲物が完全に眠っているのを確認した獣達は、空腹を満たせるという歓喜に震えながら、涎をたらして、薮から飛び出した。
すぐには襲いかからない。途中で起きて、暴れだしても確実に仕留めれる様に、囲んでじっくりと間合いをつめる。

… 距離にして、 5m …4m  … 3m… 

そして、2mの距離まで獣達はその包囲網を縮めた。
この距離ならば、獣達にはなんの意味もない。ひとたび跳躍すれば、あっという間に獲物の首をねじ切れる。
逸る血を押さえ、体を屈ませ跳躍の体勢をとり… 同時に飛びかかった。

…そして、その緻密な一糸乱れぬ行動が、彼らが一匹残らず死に果てる要因となった。

最初に哀れな獲物に到達した一匹が、突如跳ね起きた男に鼻面を右手で殴りつけられ、首から先が消し飛び死んだ。
次の一匹が、仲間が死んだのを知覚できないままに同じ様に首から上を消し飛ばされて死んだ。
同じくまた一匹。また一匹。 次々と空中で獣達は血煙となって死に果てた。
最後に殺された一匹は、勿論その優れた反射神経のおかげで仲間達が殺された事には気がついた。だが、すでに飛んでしまっている以上、翼でもついていなければ行動を修正できない。

獣は悟った。自分たちは、灰色熊… 地上最強の獣の一つに喧嘩をうってしまったのだという事に。

しかし希望は、まだ残っていた。
すでに眼の前の熊は、仲間を殺すのに爪を使い切ってしまっている。
ならば、熊が爪を引き戻す前に奴の首を喰いちぎってしまえばいいーー
そう考え、一縷の望みをかけて、顎を開き牙をむいた。

だが、次の刹那、獣は自身の考えが間違っていた事を知る。

肉が裂ける音。
その眼を爛々と赤色に輝かした熊は、熊ではあり得ない角度で顎を開いていた。

ーーーー喰われる!!

獣の優れた視覚能力は、最後の瞬間まで、熊の顎の奥の深淵を捉え、その映像と予測される結果を脳髄に送り続けた。
間髪を容れず、脳が、生命の司令塔が、生命を長引かせる為に、体に指令を送る。
だが、異常興奮してしまった神経では、脳髄からの伝達を四肢に届ける事はかなわない。

異常発汗。脊髄を駆け巡る冷たい何か。体を殺さんばかりに高鳴る心臓。

結局、その最後の一瞬まで獣は生き延びる為の手段を何一つ講ずる事も叶わなかった。
だから、次の瞬間には獣は『喰われる』という、生命にとって一番の恐怖の中で死に果てた。

 

 

 

 

 

 

かくして、男は蘇り、早速他者を殺した。
全身に浴びた血は、まるで生まれたての胎児の羊水。
男は、自身が生み出した酸鼻極まる地獄を睥睨すると、たからかに笑い出した。

それは、この世界を殺し、そして食い尽くさんとする貪欲な獣の、咆哮だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーだが、獣はしるまい。その魂に刻まれた魔神の名は、決して邪悪なものではないことを。

獣がその意味を知った時、獣は、きっとーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[The end of grey is the beginning of the crimson and is the beginning of ...] end.


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