(4)/喰うか、死ぬか
街路に秋の風が吹き、赤くそまる前に堕ちた木の葉が舞う。中途半端に紅く染まった木の葉はひとしきり虚空を舞い、最後の自己主張をした後舗装された街路へと堕ちた。そしてそんな木の葉を踏み破り、アニタレスト・ヘル・スター ニア次期侯爵はペヌエルの町並みを意気軒昂に突き進んだ。
その華奢な体によく似合った美麗な剣を担ぎなおしながら、彼女はその皇帝家ゆかりのものである証の紅い瞳が活気に満ちあふれた街路を見回した。そこにあるのは、活気ある街の姿。商店にはものがあふれ、道往く人々は前を向いて、明日の為に歩いている。インフラにしても、石畳がなく、より歩きやすいニ世代型コンクリートによって舗装されている。彼女も噂には聞いていたが、ペヌエルの空気はやはり彼女が住まう帝都のそれよりずっと彼女に親しみやすかった。
「帝都」や第一副都ベネンクルスが歴史の都というならば、此処第二副都ペヌエルは近代の都である。つい30年前、隣国との戦争の折りに多大の被害を被った帝都を補う為に制定されたこの都は、帝都やベネンクルスに比べて必然的に歴史的価値を持つ建物が少ない。
だが、その分建築物は近代的だ。開発されたばかりの複合素材技術によって建造された尖塔群は、確かに歴史の重みからでる風格に置いてはベネンクルスには劣るが、実用性と機能性に置いてはベネンクルスのそれを遥かに上回る。また、伝統に支えられた、格式高い労働組合によって老朽化しつつある帝都や副都の市場の代わりに、自由市場や企業間の競争を狙ったこの都市は税制優遇等の政策がとられており、新企業への援助金も盛んだ。3年前からは更に教育などに力が入れられ、帝国第三位の都市としてますます発展している。「…で、だよ。ここいらで我々もルーッカネンの新型の式神を購入して置くべきだと思うのだが」
「いらん。あんな破壊力があっても重武装型人格破綻者、意訳してお前が喜ぶだけだ。それ以前に金がない」
「リオン、君はこれだけ言ってまだ分からないのかねっ。 今、時代はよりインフレートした破壊力を求めているのだ! 金なんという小義に捕われてどうする!」
「だったらお前が浪費するのを止めろ!」
「浪費するのは資本主義の美学にして義務である。 ―――カール・グスタフ」
「あるわけねぇだろそんな名言!」上機嫌のアニタレストをよそに、背後のお付きの二人はまた下らない事を話していた。少々高等な気分に水がさされた気分になるが、まぁ、それ位は我慢できる範囲だ。貴族であり、幼い頃から領民に慕われる良い君主であれと教えられてきたアニタレストにとって、人々の活気のある様を見るのは楽しいものだった。
ーーーそんな秋の朝。
彼ら… もとい、彼女らは世間を騒がす人狼達の拠点を虱潰しに探しだしていた。
人狼。
ウェアーウルフ。そもそも、彼らの最も恐ろしい能力はその怪力や俊敏性、不死性ではなく、日常的には全く普通の人間として生活していられる事にある。かつての忌まわしい魔物狩りの時分には、隣人さえも人狼ではないかと恐れおののいた人々により数沢山の無辜の命が失われた。
そう、隣人への懐疑。
魔女や吸血鬼、そしてその僕たる死人にも通じる事だが、その人間社会を揺るがす感情こそが人狼の脅威だった。
とはいっても、勿論忌まわしき中世から数百年経った今ではある程度の判別手段は発見されている。例えば、現代の技術であれば血液中に含まれるーーーの検査によってほぼ100%識別する事ができる。また、生理的に狼に近い人狼は犬と同じ様に玉葱は猛毒となるので、これによって民間レベルの識別も可能。もっとも、これでは玉葱アレルゲンと誤摩化す事もできるので確実ではないし、血液検査にしろ時間がかかる。他にも幾つか手段はあるが、個人レベルでは確実には識別しきれないのが現状だ。もし個人で、しかも識別するとするなら、それこそ怪しい人々全ての鼻先に玉葱を喰わせた上で、怪しい反応を示した者に更なる検査を施すしかない。
ーーそこで。
アニタレストはとりあえず怪しい人々全ての鼻先に玉葱を喰わせる事にした。
「…いやぁ、上の方の貴族って考える事が違うよな」
「…そうだね。それには私も同意だよ」二人の視線の向うには、昼間から酒場に入り浸ってるちょっと駄目な大人、あるいは夜中から入り浸ってそのまま朝を迎えたやっぱり駄目な大人を並ばせて、その鼻先に玉葱を突きつけたアニタレストがいた。
「はーい。次の人ー。」
筋骨隆々とした大男が、きまり悪そうにアニタレストの前を歩きさり、代わりにスキンヘッドの男がアニタレストの前に歩み寄る。その鼻筋に玉葱を押し付けながら、アニタレストは振り向いた。紅い豊かな髪が優雅な弧を描き、髪を束ねた宝玉がスキンヘッドの男の顔面にぶちあたり、屈強の男を地に沈める。「どう? 怪しい人はいた?」
「今の所全員シロ。そうそういたりはしないさ。」
「同じくシロ。 だがアニタレスト嬢、私はもっと手っ取り早い方法を考えついた。」自信ありげにつぶやくライブに、アニタレストは目を輝かせた。
「本当、ライブ? どんな方法かしら?」
「簡単だよ。人狼は生命力が高い。つまり… 」
そこまでいうとライブは一旦言葉を切り、ちょっと厭な予感がしてきた男達を見渡し、にやりと笑った。「この場の全員を私の呪法で吹き飛ばせばいい。生き残った奴が人狼だよ。」
頭のネジが数本はずれた様なライブの発言に、場に、静寂が訪れる。リオンは嘆息して。アニタレストは感心して。男達は、恐怖して。
つかの間の静寂を破ったのは、やっぱりというか、怯えた男達だった。「ふざけんじゃねぇっ!」 怒りの声。
「巡騎さん! 人殺し――っ!!」 救助を求める声。
「あばいあばいぶぶっ!!」 よく分からん声。恐怖というのものは、一般的に人に三種類の行動を選択させる。
一つは硬直。 一つは逃亡。 そして最後の一つは、恐怖の根源の排除。
叫んだ男達は、一般的に一番愚かな選択である硬直以外の選択を選ぶ程度には賢明だった。
ある者は扉へと殺到し。 ある者は逆上して闖入者に襲いかかった。だが、あえて採点するならば、そう、今回に限れば硬直こそが正解だった。
なぜならば扉はすでに三人によって魔術的に封鎖されていたし。
反撃、に出るには己と相手の力量に差があり過ぎた。男達の得物は、飲みかけのボトルやテーブルナイフ。
それらを振り上げて襲いかかった男達は、しかし己のちっぽけな価値の中でもっとも頼りとなるはずの暴力を、すぐに更なる暴力でねじ伏せられた。
ある者はみた。視界に広がる一杯の紅を。
ある者はみた。自分の鼻筋を現在進行形で潰している大きな拳を。
ある者はみた。にやりと浮かべられた半月の笑みを。
次の瞬間、三人の体が宙に舞い、テーブルに叩き付けられる。扉へと殺到した男達も不可視の力で扉が"閉め"られている事に気付く動転する。何が起きたか理解できずに硬直する男達を制して、リオンが一歩前に出た。
「あー。まぁ、抵抗は止めておけ。先ほども言った通り、俺達は円卓試験の任務の元行動している。俺は至高の陛下から第四位を授かりし駆逐士リオン。そこの変態エルフは同じく第三位のライブ。何故か俺より上位なのは妖精の悪戯なので忘れろ。ついでにこのお嬢様はスターニア侯爵家のご令嬢アニタレスト・ヘル・スター ニア。要するにお前達が勝てる確率は、甘めに考えて投げたコインが立つ程の確率しかない」
男達に降伏を呼びかけるリオンの声に、怖いもの知らずだった荒くれ男達に衝撃が走る。
「リ、リオンだと?! あの食人鬼のロードをたった一人で惨殺したあのリオンか!?」
「ライブ! 術式条約を平気で無視しまくる非常識が服をきた長耳の破壊の権化!」男達の顔に滑稽な程の恐怖が浮かび上がる。しかし、それも無理はない。駆逐士といえば、吸血鬼や竜をも生身で倒す超絶の戦士。その戦闘力は末端でも正規軍隊の一個小隊に比類する。先ほどまで男達が素直にアニタレストの検査を受けていたのも、あらかじめ駆逐士である事を言ったからである。
「… 私の逸話があがらないのはなんでだ? そして何故ついでなんだ?」
「ほらほら。スターニア嬢はまだデビューしてないからだよ」
「しかし私は恐れ多くも次期侯爵だぞ… 」
「はは。総じて庶民というのは無知なものなのだよ」
「いや、これはやはり私が単独行動した事がないのが原因では…」
「んー。それが違うと思うけどどちらにせよ、可能な限り単独行動は避けるべきだよ。色々と面倒だからね」全くこれからの尋問に二人が協力する気がないのを再確認して、リオンは男達を見渡した。正直好都合だ。あの二人が加わった方がむしろ加速度的にやっかいになるのは、すでにリオンは身を以て経験していた。
「…というわけだ。俺たちに逆らうのは一切無駄だ。大人しく皆して玉葱を食ってくれ。食べたら帰っていい。」
その言葉に、酒場の男達は無言で頷いた。
... to be continued