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─────好き。好き。好き?

 

 

伝えたい事。

 高校3年生の夏休み前だった。期末が終わって、その結果に皆が一喜一憂している時。俺はテストがどうとかそういう事を考えては居なかった。皆が自分の点数や、自分の間違えた問題を見ているとき、俺は彼女だけをみていた。ひと時も目を逸らしたくなかった。目を逸らしたら彼女が目の前から消えてしまう気がした。

 一般的に、俺はおそらく不良学生、と言う奴だったんだろう。自分では良くわからないが。一般的にはそう思われていたと思う。昼間は学校で勉強をして、夜はバイクで夜の街を走り回った。学校の成績なんか二の次だった。やりたいことが見つかったときは本当に嬉しかった。小学、中学と勉強だけやってきて、いい高校に入った。いい高校に入ったはいいけれど、どうもやる気が起きなかった。友人が出来てバイクを知った。今までの欲求が爆発したかのようにバイクに関しての資料を読み漁った。バイクを壊しながらバイクをいかに早くするかを学んだ。今までに無いほど興奮しながら学習した。

 バイクを弄り始めて1年が過ぎて2年生になった。バイクの友達が出来た。面白くなって毎晩二人で夜遅くまで走っていた。

 ある晩。友達がこれないというので新しい道を走っていた。細い路地に入ってしまった。抜けた。と思った。大きな道が見えていた。スピードを上げて直進した大通りに出た直後。

 ぶつかった。

 横から来たタクシーに

 吹っ飛んだ。

 5メートル。

 一瞬だけ重力に逆らう。

 地面と再びであったときにはもう意識がなかった。

 

 

 朝、吉沢君が事故にあったらしい、と言う噂を聞いた。右後ろに席がある、ちょっと悪い感じの男の子だ。友達の間ではこの学校の中で一番悪いだとか言う噂が流れていた。けれど私はそうは思っていなかった。一体何処の世界に毎日学校に来て、自分より出席日数の多い不良がいるだろうか?確かに、彼はちょっと突飛なところはあるかも知れないけれども、決して根から悪い人ではないと思った。

 そう思えるのもまぁ、有りたいに言えば多分私が彼のことを好きなんだろうと思う。正直、自分でも解らないところはある。けれど、暇があると彼のことを考えているし、彼がほかの女の子と喋っているのを見ると、おへその上辺りが妙にしくしくと痛くなる。これを友達に言ったら、恋わずらい、と診断された。結果から言って、私はもう随分前から、彼にゾッコンだったわけだ。

 事故。それがどれぐらいの規模かが想像できなかった。死んじゃったのか、それとも車に当たった程度なのか。これではお見舞いにいこうにも行けない。聞いた話によれば、結構な距離を吹っ飛んだという事だから、決して軽症では無いだろう。

 次の日、彼は学校に来なかった。先生に病院の場所を聞き、お見舞いに行く事にした。当然一人で。

 

 

 病院と言うところは退屈だった。退屈と言うのも失礼な話しかも知れないが、テレビは見れない(お金が掛かる)だから粉砕骨折した足がギブスで動かないときはリハビリを兼ねて歩き回っていた。その日も看護婦さんの忠告を無視して一回にある売店まで飲み物と食べ物を買いに行った。

 売店に入ってお菓子や菓子パンを物色する。菓子パンはほぼ制覇していた。

 何しろ暇だ、食べた菓子パンは全て10点満点で点数をつけていた。記憶を辿り、10点に一番近かったパン(驚くべき事にまだ10点は出ていない)を2,3個買う。暇人とは恐ろしいもので、お菓子のほうにも点数をつけているのだが、お菓子だけは種類豊富なのでどうも制覇は難しいようだ。新しいものを2つ買い、飲み物を買う。エレベーターに並び、自分の病室に戻る。ドアを開けると、寺津路が居た。

 

 

 病院というところはなかなか退屈そうなところだった。その印象をもっと強くさせたのが吉沢君の病室に入ってから見つけた一つのノートだ。おそらくこの病院の売店に売っているのだろうと思われる菓子パンの名前が羅列してあって、その横には点数が書いてある。どうやら10点満点での評価の様子で、いまだに10点は出ていない。ご丁寧に点数の横に(餡子の量が微妙!あともうちょっとバランスが取れていれば満点!)だとか、(バターが入っているという売り文句のわりに入っていない、幻滅)だとか言う説明が入っているのがその気持ちを増幅させる。それにしても彼の字は几帳面な字を書く。人の性格は字に現れるという言葉を作ったほうが良いんじゃないかと言うほど見かけによらない。何と言うか、女の子のような字を書く人は多いが、こんなに中性的な字を書く人も珍しいと思う。さて次のページと思ったら、吉沢君が帰ってきた。

 病室に入ると、どうやら俺のベッド(右奥の日差しが当たりやすい場所)の横の椅子に寺津路が座っていた。

 目をこする。自分でもどうかと思うリアクションだが、こする。そのあともしかして自分は事故ったときに頭もぶつけてしまって今幻覚を見ているのかと思った。早く医者を読んだほうがいいのだろうか。そんなことを考えていたら寺津路がこっちを向いた。

 

 

 背後に気配を感じるので振り返ってみると吉沢君が立っていた。どうも彼は頭を打ったのか知らないが、随分と自分の目の前の状況に順応できていない様子だ。ぼーっと私のことを見ている。私は気恥ずかしくなって吉沢君に座るよう促した。足にギブスをはめているところを見るとどうやら脚を骨折したか何かしたらしい。立っているのはどう考えても良く無いだろう。吉沢君はまだ順応できていない顔をしていた。何故だろう。私がここに来る事がそんなに不自然だろうか。それとも私が何処か変なのかと思って慌てて身だしなみを確認する。化粧も最寄の駅でチェックしてきたし、制服も今見たところに全く変なところは無い。もしかして今日つけている下着が新品だという事がばれたのだろうか。久々(一日ぶりなのだが)に会うから使い古した下着は着れない。と言う自分でもどうでも良く解らない理由を見つけて新しい下着を着てきたのだ。まぁ、それがばれたら私は今此処にいられないが。

 

 

 寺津路にベッドに入るように促された。俺はベッドに座りながらも来てくれたことが信じられなくて寺津路を凝視してしまう。すると寺津路は突然制服を気にしだした。もしかしていつもと違うのだろうか。それを気づいて欲しいのだろうか。そう思って一生懸命何か違うところがあるか探すがどうも見つからない。まぁ、きてくれただけでも万々歳なのだ。これ以上見るのは失礼だろう。そう思って視線をはずして寺津路と話し始める。学校で昨日何があっただとか、俺の今の状況を説明したりして過した。ふと外を見るともう夜だった。日は暮れて、もう寺津路は帰らなきゃ行けない時間じゃないかと思って質問すると、寺津路はそれじゃぁ、と言って、荷物の中からかわいくラッピングされたパンを手渡してくれた。なんとも形容し難い形のパンが入っていた。お礼を言うと寺津路は部屋を出て行った。

 好きな人と話すと時間の流れは忘れてしまうものだ。吉沢君が言ってくれるまで時間の概念が全く喪失してしまっていた。帰り際に昨日の夜作ったメロンパンを手渡すと、吉沢君はそれをじっと見つめた後、ありがとう。といってくれた。

 ほら、やっぱり、優しい。心地よい幸福感が私を包む。踊り出せそうな気持ちだった。病室を出て、病院を出る。今なら大声で嫌いな人の死を願えるぐらい幸せな気分だった。

 

 

 退院した。1ヶ月の入院生活のあと、ギブスをつけたまま家に帰ってきた。学校の課題やノートは寺津路が毎日届けてくれるから遅れは取っていなかった。それにしても、入院中の寺津路は何かいつも見ているよりとても可愛かった。教室で30人以上に埋没している時より、自分の目の前に居てくれたときに発見できた事が多かった。久しぶりに教室に入ると、いつもと変わらない風景だった。俺が居たときと、居なかったときに何百回と繰り返されたいつもの風景。今日ばかりはそれが新鮮に見えた。いつも座っていた席に座ると、隣に座っていた女子に席替えをしたから前のほうの席に座ってくれといわれた。まぁ、1ヶ月も居なかったのだ、知らない間に席替えがされていてもなんら疑問は無いが、寺津路が全くの逆方向に行ってしまったのは少し、いや、とても残念だ。席に座って15分すると担任の教師が入ってきて朝のホームルームが始まった。いつの間にか寺津路が席に座っていた。

 そこから3ヶ月は全く平穏だった。バイクにも両親から禁止令が出ていたし、勉強が大変でついていけなくてという事もなかった。

 けれど3年の一学期の期末が終わって、夏休みに入った。夏休みはひたすらバイトをしていた。足に傷があるから海にも入れないし。バイクにも乗れない。そして夏休みの最後の3日は病院で抜糸と骨に埋め込まれていたボルトを抜いた。ご親切に先生が抜いたボルトを手渡しで授与してくれたのでバイクにくっつけた。

 そして2学期が始まった。

 

 

 夏休みが来なければ良かったと思ったのはこれが始めてだった。夏休みに入って早々。父親が死んだ。交通事故だった。皮肉にも、吉沢君が会った交通事故と全く一緒、違うところがあるといえば横から突っ込まれた物体が1トンを超すトラックだったという事だけだ。即死、だった。遺体は私にはショックが強すぎるという理由で見させてもらえなかった。というわけで私が最後に見た父親の最後の姿は屋根に押しつぶされて頭の半分が無くなった姿だった。その事故の後、私は夏休み一杯、カウンセラーに一週間に一回通っていた。母親が私の精神状態を考慮しての事だったが、実際のところ私はそんなにショックを受けていたわけではないし、思ったより自分が落ち着いていた。そんな毎日を過していたら、何時のまにやら夏休みの最後の日だった。あせった。自分が何もしていない事に気づいた。まぁ、葬式やら、その他諸々で忙しかった事は忙しかったが、それも最初の2週間ぐらいで、残りの時間は何をしていたのか記憶に入っていないことに気づいた。

 

 新学期が始まった。

 教室に入って最初にビックリした事は、教室が異常なまでに暑かったことだ。二つ目は、寺津路の顔が夏休みの前と比べて随分とげっそりしていた事だ。元々結構痩せていたほうだから、ダイエットという事は無いだろうが、この痩せ加減は異常だ。みていられなくて声をかけた。声にもハリが無かった。憔悴しきった声、と言うのはこのことを言うのだろうというぐらい頼りない声だった。

 一週間が経った。いつもどおりとは行かなくても、寺津路の体力や生気は段々夏休みの前の状態に戻りつつあった。

 その時は何故元気が無かったのか解らなかった。夏ばてとか、そんなありふれた事を考えて自分を納得させていた。

 ある朝のホームルームで先生が何時までに無く真面目な面持ちで話し始めた。先生がいつもは見せない雰囲気にいつもは五月蝿い生徒が大人しくなる。先生は寺津路の父親が夏休みの初めに交通事故で亡くなったと言った。その後に、母親だけでは家の家賃などを支えていけないという理由から寺津路は母親方の祖父の家に引っ越すといった。

 俺は寺津路をみた。寺津路は俯いてじっと何かを堪えているように見えた。

 

 

 此処最近は荷物を片付けることに精一杯で自分の回りを見る余裕が無かった。だから先生が私の話をしている時に吉沢君がこっちを見ていたこともいつもなら気づくはずなのに、後から友達に言われてから気づいたぐらいだった。

 引越しの日は着実に近づいていった。私が引っ越すといっても別に時間は止まってくれないし、先生がお別れ会と称して授業を潰して遊びに行かせてくれることも無い、いつもどおりの授業が続いた。引越しが決まったのは急だった。母親が父親の残り香が残るこの家に残れない。とこぼしたのが事の発端だった。それを聞きつけた祖父が家に飛んできて実家に帰って来いと説得した。精神的に弱っていた母親はそれを承諾し、私の高校のことも考えずにすべての日程と手順を決めてしまった。

 引越しの日はすぐ来た。引越しの前一週間は友達と遊んだりしていた。前日は家の掃除に追われた。当日は夜に出発だったので、学校に行ったり友達の家に行ったりで、時間はすぐに過ぎた。電車の時刻が迫った。

 

 

 俺はどうしたら良いのかわからなかった。寺津路が引っ越すと聞いても何をしたら良いのか解らなかった。手伝いに行けばいいのか?いや、頼まれても居ないのに行くのは図々しいだろう。ではお別れ会をするか?いや、それも出来ない。自分が悲しくなるだけだ。本当に、今までこういう事を体験しなかった事を恨んだ。告白するか?いやそれは駄目だ。とてもできるとは思えない、今の関係を壊したくない。それに引っ越すのに告白してもあえないし、空しさがつのるだけだ。じゃぁ、何をすればいい?

 解らない、けど少なくとも、寺津路の顔を見ないとどうしても落ち着けなかった。

 母親に止められていたバイクを飛ばして寺津路の家に向かった。もう電気は灯っていなかった。ならば駅だ。駅に居なかったらそれまでだという事だろう。伝える価値も無いという事だ。

 俺は、今まで出したことの無いようなスピードで駅までの道を奔った。

 

 

 人身事故。最悪だ。アレだけ友達と涙ながらに別れたのに、ホームに来て待っていたらアナウンスされた人身事故のため電車が15分遅れるというアナウンス。これじゃぁ次会うときに笑い話にしかならないなぁ。と考えていたら駅のほうに凄く五月蝿い音の何かが近付いて来る。何かと思っていたら駅の前で止まったようだ。何をそんなに慌てているのだろう。電車は15分遅れてるんですよ。と駅員さんも伝えてあげれば良いのに。

 

 

 電車が行ったのか行っていなかったのかわからなかったが、急いで入る。ホームに上がると、前のほうに寺津路が見えた。

 走って近付きながら、ポケットにしまっておいた紙切れを取り出す。そして寺津路の前に立って、黙ってそれを手渡した。寺津路はキョトンとした顔をしていたが、有無を言わさず渡したところで、電車が入ってきた。後から知った事だが、この電車は人身事故で15分遅れだったそうだ。寺津路がドアに入るときに、又会えるよね?と聞かれた。そりゃ、会えるだろう。お前がこっちに来ればいつでも俺はいるよ。寺津路は少し嬉しそうに笑いながらそっか。そうだよね。といった。俺はそう。そうだよ。と言って寺津路から視線を逸らした。

 電車が見えなくなったところで急に恥ずかしくなって、その後で涙が出てきた。誰かに見られているようで恥ずかしくて、急いで涙を拭いて、早足で駅を出た。

 帰りの道はゆっくりと、今までのことを思い出すように、バイクが進んで行った。

 

 

 吉沢君が視線を逸らすと、言い合わせたようにドアが閉まった。発車するとすぐ吉沢君は見えなくなった。吉沢君が渡してくれた紙が気になった。ノートの切れ端だった。ちょっとだけ見覚えがあった。病室で見たあのノートの紙だった。

 開くと、そこには例の彼特有の字で「寺津路のメロンパン(?)点数10点。形は歪だけど案外うまい、見かけによらず。」とだけ書いてあった。電車の中だけど少しだけ吹き出してしまった。

 次会うのは何時になるだろうか。次に会うときは又メロンパンを作っていこう。会うのは病室じゃないほうがいい。その時までにはきっと形もきれいにして行こう。

 その時は今まで伝えられなかった事を伝えよう。

 そう思うと、これからの生活も、それを糧にがんばれそうだった。

 友達の診断は間違ってなかった。

 やっぱり私は好きだったんだなぁ。とそのときやっと確信した。

 


後書き。

死ねる。何か、死ねる。寧ろ死ぬ。調子に乗った俺が悪い気がする。今は反省している。けど、評判が良かったら又書こうと思う。読んでくれた人次第。




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