天国の予約席

  それは、なんでもない親子の会話だった。

 「お母さん、死んだ人は何処にいくの?」

  炎が柔らかく暖炉に燃えている、暖かい居間での事。尋ねられた母親は、幼い息子の質問に少し驚いた後、微笑んだ。

 「死んだ人はね、天国に行くのよ」

  その言葉に息子は、首を傾げた。

 「てんごく、って?」
 「天国はね、お空の上にある、とっても綺麗な場所なのよ」

  母親は息子が体を冷やさない様に毛布をかけながら、答えた。だが息子はそれをはねのけて、目を輝かせて母親に更に尋ねた。

 「きれい? おはなばたけよりも?」
 「ええ。お花畑どころか、世界の何処よりもずっと綺麗な所よ…。それに、天国ではあらゆる苦悩がなくて、皆喜びに満ちているの」

  苦笑しながら答える母親の、その腕を息子が掴み、叫んだ。

 「じゃあ、お母さん。一緒に行こうよ!」

  無邪気なその言葉に、母親の言葉が詰まる。

 「ねぇ、行こうよ!」
 「…駄目。天国は、自分から行ってはいけない場所なの」

  母親は左手で息子の頭をなでて、嗜める様に言い聞かせた。

 「天国に行くにはね、良い事をしないといけないの。大変だった後の、ご褒美みたいなもの。自分からご褒美をもらおうと思っちゃ駄目って、分かるでしょ?それに、貴方がいなくなったら、お友達が寂しがるわ…」

  母親の優しい言葉に、息子は首を傾げた。
  何処か、母親の言葉にはおかしい点がある。
  息子はそう思ったが、なでられている内に思考に靄がかかり… 眠くなってきた。

 「ほら、可愛い私の坊や。今日はもうお眠りなさい… 明日にだって、天国に負けない位綺麗なものがあるかもしれないんだから…」

  そう言われると、息子は首を縦に振って目を閉じた。
  母親は、その様子を いとおしそうにみて、そして壁にかかった写真を見上げた。

 

 

 

 

  そして、数年後

 

  もう息子でなくなった少年は、一人空を見上げていた。

  母親の墓の前で。

 

 

  少年の母親は、死んだ。少年を庇って、殺された。
  最近街を騒がせていた殺人鬼に、肋骨と肋骨の間をぬって、心臓を突き刺され、だから即死した。
  その時、殺人鬼は少年も殺せたはずだった。しかし少年は死なず、今、墓の前で空を見上げている。

  哀しみは不思議となかった。まだ、感性が麻痺している。
  いずれ、悲嘆が少年を襲うだろうが、ソレは今ではない。

  ふと、衣擦れの音がして、少年は振り返った。
  反転する視界の向こう。
  そこには、漫画や小説の中にいる様な、黒いローブに身を包んだ長身の影が立っていた。

  少年が何も言わずに見上げていると、
 「貴方は、悲しくないのですか?」
  と、男が尋ねた。

 「………」
  尋ねられても、少年は応えない。

 「私は、貴方の仇が何処にいるのかを知っていますよ。知りたいですか?」
  口元に笑みさえ浮かべながら、男は少年に問いかけた。
  しかし、少年は
 「………」
  やはり応えずに、ただ男を見上げた。
  これを見て、男は更に楽しそうに笑った。
 「それとも、仇をとる手段を、力が欲しいですか?いいですよ、あげましょう。もし望むなら、睨んだだけで人間を殺せる瞳や、名前を書いただけで人間を殺せる手段をあげましょう。なんだったら、ウルトラマンにでもしてあげましょうか?」
  だが、少年は応えない。
  男も、その反応を分かり切っていた様に、微笑みを崩さない。
 「違いますね。分かっていますよ、貴方の欲しいものはそんなものではない…  察するに貴方、貴方の母上が蘇る事さえ望んではいないのでしょう?」
  これに対して、初めて少年は反応を返した。
  頷いたのだ。
  男は右手で口元を押さえると、くつくつ、と笑った。
 「面白いですねぇ… 普通、貴方ぐらいの人間が母親を亡くしたら、なにより母親の帰還を求めるものですが。私の知っている所だと、自分達で母親を創ってしまおうとした兄弟もいましたし。まあ、出来たのは化け物でしたけどねー」
  問いかけですらない言葉に、少年は、応えない。
  その姿をみて、男は右手に胸をあて… 礼の姿勢をとった。
 「お聞かせ願えませんかね? 何故、貴方は今その境地にいるのか。何故、平穏とした心を保てるのか?」
  この質問に、少年は口を開いて、
 「……天国にいったから……」
  と、ぼそぼそとした声でいった。

  男の美しい弧を描いた唇が、凶悪なまでに歪んだ。

 「成る程!成る程ねぇ、だから、真の意味で母親を愛する貴方は、悲しまないのですね!そうですよねぇ、貴方を一人で育てていた母上は、貴方からみれば苦難の連続だったからでしょうね。むしろ死したのは、貴方からみれば、彼女にとっての救いに見えたのですか」
  両手を振って、男が大仰に言う。黒衣の袖が、黒鳥の翼の如く、舞い翻る。
 「お教え頂いてありがとうございます。お礼に、何か願いを叶えてさしあげましょう。やはり、貴方の母上のいる天国に行くのがお望みですか?」
  これに、少年は首を横にふった。
 「……自分から、天国にいきたいと思っちゃ駄目だから……」
  そう言うと、少年はわずかに顔を伏せて、墓に向き直った。そして、
 「……でも、母さんが天国で寂しくない様に……」
  両手を組んで、呟いた。

 「……天国に、みんなを送りたいかな……」

  男は、それを聞いて、優しく微笑んだ。
 「では、貴方が殺す全ての人間が天国に行ける様にしてあげましょう」
  こうして、また街にまた一つの都市伝説が産まれた。

  殺されたら、絶対に天国に行ける殺人鬼。
  死んだ後の世界が保障されていれば、殺されるのも悪くないのでは?

 


何かコメント、文句、恨み言などありましたらメール掲示板、あるいはweb拍手でお願いします。