黒の探求者



  彼女は十字架に磔られていた。  
 両手首には銀の杭が突き刺さり、彼女を脚を十字架ごと縛る茨の縄と一緒に彼女を十字架に固定している。
 まるで贖罪の丘に磔にされた聖人を真似たかの様な醜悪の風景。
 それは旧態然とした魔女狩りの、極あふれた光景だった。 

 彼女の座。 その下には情報操作で踊らされた豚にも等しい民衆が、憎悪にあふれる瞳で彼女を見上げている。
 その顔にあるのは嫌悪。そして恐怖。生まれていた時から教えられた、魔女に対しての恐怖感が彼らを煽り立てている。
 彼らは一斉に彼女に叫んでいる。 「背徳者」だとか。 「悪魔の娼婦」だとか。 まぁ、あながち間違いでもない。
 彼女は確かに彼らの宗教の戒律には背いているし、悪魔と呼ばれるものとも関係を持った。
 だが、それを責める民衆を見ていると私の胸は陰惨たる思いに包まれる。人は何時までたっても進歩しない。
 いや、進歩はしている それは認めよう。だが私が見てきた限りでは結局人は同じ過ちを何度でも繰り返す。
 技術がいくら進歩した所で、その精神は原始の祖先の猿と何ら変わりがない。

 第一この時代に置いて魔女狩りなんて時代錯誤も良いところではないか?
 野蛮で獰猛なかつての暗黒時代ならばともかく、彼らの時代はすでに優れた文明が生まれている。
 しかもその優れた文明も、元々魔術師。 今彼ら民衆自身が追いつめている類いの人間の、『魔術』によって生まれたものだ。
 自らが恩恵を受けているものを、何故邪悪なものと断定できるのか。 何故疑問を抱かないのか。
 人間というのは限りなく愛しいが、時として私には分からない。

 私は彼女が何故このような目に会う羽目になったのかを模索した。
 彼女は、とても優しい人間だった。そう、優しすぎたのかもしれない。 優しすぎた所為で彼女の大切な存在が消えた時、その衝撃に堪えられなかった。
 彼女は私に言った。「私は全ての人間が互いに優しくなれる世界を創りたい。」と。

 確かに彼女がそう思うのは分かる。世界は、人間自身によって醜く歪められているから。
 人は知恵を得たが為に、他の生物が持ち得ない様々な暗黒を抱えてしまった。それを祝福と受け取るか、呪いとみるかは私は興味はない。
 それはあくまで人が決める事であり、第三者たる私が決める事ではないのだから。
 
 人は基本的に獰猛な生物だ。 無理はない。生き残った種族というのは、即ち他の生き物よりもより凶暴であったという事だから。
 だがおそらく、道徳観念というものが産まれて久しいこの時代に置いていまだ人が争う原因は人が自らを変化させていく特性がある事に起因すると思う。
 人は決して現状に満足しない。トランオシタス。より楽な暮らしを、豊な生活を求めて人は日々進歩を続ける。

 無論人が特別なのはこの点にある。人が進化し、他の生物を圧倒したのもこの点が理由だろう。
 だがしかし、それは過剰な力を産み、かつて自然に逆らい生き残るために得た人の力が人自身に矛先を向ける事につながる。
 それに加えて現れた「人格」が人々の間を切り分けた。

 その事を予見した人間もいた。そういった人間を私は見てきたし、初期の 聖者、聖人、賢者と呼ばれる類いの人間は皆この部類に含まれるだろう。
 だが彼らは失敗した。  

 彼らが書いた法は多くの人間を理性の支配下に置く事に成功したが、
 時に抑圧された人間の欲望が噴出したり、あるいは価値観自体が異なった、暴力を至上とするより凶暴な侵略者に根本から破壊された。
 道徳も同じだ。道徳はかなりの数の一つの社会の人間を穏健にするが、しかし社会全体が穏健になった場合その社会は他のより凶暴な社会に哀れにも粉砕される。
 宗教は部分的に前の2者と違いある程度は成功したが、しばしばより大規模で陰惨きわまりない大戦争が引き起こされる引き金にもなった。

 あるいはそれが生物としての人間の限界なのだろうか。
 私はそうは思わない。人間が人間たる所以、それは人間にのみある「可能性」そのものなのだから。
 現に限りなく稀とはいえ、従来の人間よりもより高貴で完全な人間… つまり『真人類』は時に生まれおちている。
 ただ、その数が限りなく少ないだけの事だ。

 彼女はその『真人類』を増やす研究に生涯を打ち込んだ。傲慢、嫉妬、飢餓、色欲、怠惰、貪欲、憤怒。
 その全てを超越した人類の創造。いわば人工的に『神の仔』を生み出す計画。
 だがその計画は挫折し、彼女は今ある様に拘束され磔になった。残念だが彼女が『神の仔』を創る器の持つ程の人間ではなかったという事だろう。

 だが私は彼女を、彼女の一生をけなすつもりはない。彼女が今ある姿になったのは彼女の器の所為であり彼女自身の所為ではない。
 そう、…私は信じたい。何時か人の変化を求める特性が、いずれ人が自らの手で自らを進化させるその「日」がくるのを。
 故に今は私は彼女の死を見過ごす。彼女の一生を次の人に伝える為に。次の次の人に伝える為に。
 そして彼女の一生を否定しない為に。
 
  私の名前はアズベール。人の可能性を信じ、故に神々を虐殺する探求者。


 



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